次世代に伝える。

原発避難11年目ラジオ


東日本大震災による、福島第一原発事故。

それにより、多くの問題が生まれました。

 

避難先での不安定な生活、故郷に戻れない虚しさ、当時のことを口に出せないもどかしさ、賠償金が原因で受ける誹謗中傷…。

 

未だにそのような問題は消えていません。

そして、これから先も同じような事故・問題が起こりうるのです。

 

残された原発避難の問題に着目し、それを解決する社会づくりをしていきたい――――。

そんな思いで、この番組を放送しています。

 

担当パーソナリティは現役大学生の櫻井脩弥(さくらいしゅうや)。

 

"知っているようで知らなかった"、原発避難の問題について皆さんと一緒に考えていきたいです!!

 

 

 

『次世代に伝える。原発避難11年目ラジオ』

毎月第3日曜、17~18時にミヤラジにて放送中!

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原発避難者の方々と楽しくサコッシュづくり

 11年前の東日本大震災による原発避難。それにより、栃木県にも避難してきた人がたくさんいます。その数およそ二千七百人(令和4年現在)。

 そんな県内の避難者が毎月交流し合う「ふくしまあじさい会」という集まりがあります。

 

 「次世代に伝える。原発避難11年目ラジオ」(https://www.tochigivnet.com/fukushima10-radio/)の学生パーソナリティをしている私(櫻井)は、避難者ではありませんが、あじさい会の雰囲気が好きで毎月参加しています。

 9月8日(木)のあじさい会では、かごのサコッシュづくりが行われました。

 クラフトを専門で行なっている方々が、作り方を一から丁寧に教えていただいたおかげで、なんとか完成!

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「これからどうなるのだろう」原発事故小4、漠然とした不安

○「なんで自分がこんな目に…」転校先の友人に見せなかった思い

 5月15日の「次世代に伝える。原発避難11年目ラジオ」では、福島県葛尾村出身の吉田尚輝(よしだなおき)さんをゲストにお呼びして話を聞いた。吉田さんは、私(櫻井)の小中学生の頃の同級生である。小学5年生の震災当時、葛尾村から私の小学校に転校してきた。それまでに2、3回も避難先を移転していたという。

 はじめは、近所の体育館で避難生活。当時は食や風呂などの生活環境が整っておらず、精神的な負担が多かったという。「これからどうなるのだろう」という漠然とした不安があった。

その後、会津に住居を移し一時的に市内の小学校に通い始めたが、そこではいじめや嫌がらせなどがあった。「なんで自分がこんな目に遭わなきゃいけないのか」と悩むこともあったようだ。

 その後、私の地元の三春町にある仮設住宅に移り、町内の小学校に転校してきた。当時の吉田さんは、避難で大変な思いをしている様子を一切見せなかったため、同等な立場である普通の友人として学校生活を共にしていた。しかし、実際は多くの悩みを抱えていた。仮設住宅にはゴキブリが大量発生したり、防音性がなく近所の生活音にストレスを感じていたこともあったという。避難当時の話を聞いたのはこのラジオが初めて。あらためて吉田さんをゲストに呼ぶことができて良かったと思う。

 

○「福島は“復興”だけでなく、成長している」

 これからの活動について話を聞いた。

「福島=震災・原発事故が起こった場所、というイメージをなくしたい。まずは福島に訪れてみて、地域の魅力を知ってほしい」と話す。

福島県内の学生が集うコミュニティサークル、SFF(Spread From Fukushima)でも活躍する吉田さん。

「福島県は復興しているだけではなく成長している。福島県を盛り上げようと頑張る若者の活躍を多くの人に知ってもらいたい」と語った。「福島って意外と良いところだな」と思ってもらえるように、私自身もできることをしていきたいと思う。(櫻井)

「本当に良いところだった」。大好きな故郷を帰れない所にした原発事故

 6月19日の「次世代に伝える。原発避難11年目ラジオ」では、福島県浪江町出身で現在は茨城県つくば市に住んでいる木幡サチ子(こわた・さちこ)さんをゲストにお呼びし、話を聞いた。

 

○地震、津波、原発事故…。3つの危機が襲いかかったあの日

 3月11日は、娘の学校の卒業式の日だった。学校から家に帰り、着替えをしていた時に大きな揺れが襲ってきた。慌てて外に飛び出し向かったのは、周りに建物がない田んぼのなか。そこで、しばらく様子をうかがっていると、古い民家が崩壊していくのを見た。立っているのもままならない程の大きな揺れがしばらく続いた。やっと揺れが落ち着き、家に戻り片付けをしていると、当時沿岸地域に住んでいた息子から「津波で家が流された」という連絡が来た。事態の深刻さを把握し、翌日避難を開始。避難の最中に車のなかでテレビを見ていると、「福島第一原発が爆発した」というニュースを知る。その時、外に灰のようなものが飛んでいた。「もしかしたら爆発のものだったのかも」と思った――と当時を振り返る。

 

○心から愛していた故郷。もう戻れないつらさ

 避難したのはいいものの、当時受け入れてくれる避難所がどこにもなかったという。「ここは双葉の避難所だから!」などと、他地域から来る人を拒む場所ばかりだった。しかたがなく、12日の夜は川俣町のとある公園の脇に車を停め、寒い思いをしながら車中泊をした。

 翌日、妹から「筑波に来たら?」と言われ、家族12人で茨城に向かった。当時は「ちょっとしたらすぐに帰れるだろう」と思っていたが、その後故郷で再び過ごせる日は来なかった。「まさか自分の生まれた土地を離れるとは思わなかった」と話す。現在はつくば市で新しい家を建てて暮らしている木幡さん。時に周りから「今の家、立派で良いじゃないか」と言われることがあるが、それで満足できるわけではない。故郷に戻れないことによる憤りや不安は一生消えないのだ。木幡さんの実家は既に更地になっているが、時々家跡に帰ると落ち着くという。ストレスで病気になった人が故郷に帰ると治る、という避難者もいるらしい。木幡さんは「浪江町は本当に良いところだった」と話す。長年暮らしてきた愛すべき故郷を手放すつらさを想像してみてほしい。(櫻井)

「帰還町民」の暮らしの下支え、「避難町民」への寄り添い。双葉町長インタビュー

○「戻らない6割」の中で、豊かな暮らしを創る。

 昨年6月から今年の3月まで放送された「次世代に伝える。原発避難10年目ラジオ」。その続編を「11年目ラジオ」と改め放送することになった。4月17日は、福島第一原発がある双葉町町長、伊澤史朗(いざわしろう)さんに話を聞いた。

 伊澤さんは震災から2年後の2013年に双葉町長に就任した。それから現在に至るまで町の復興に尽力し、今年6月には避難指示区域の解除に努めた。しかし、昨年8月に行われた双葉町住民意向調査によると「戻りたいと考えている」が11.3%、「まだ判断がつかない」が24.8%、「戻らないと決めている」が60.5%、「無回答」が3.3%だった。

戻らないと考えている人が大半である現状で、帰還者が豊かな生活を送るために必要なことは何かと尋ねた。「世代によってニーズは違う。特に高齢者が多いため、それに合わせた施策が求められる」と話す。避難先での生活に慣れ親しんだ子どもや若い世代より、長い人生を故郷で送った高齢者の方が、帰還意志が強い傾向にある。そのため、病院の数を増やしたり高齢者同士が交流する機会をつくることが求められるという。震災前の生活を完全に取り戻せないが、町で安心して生活するための暮らしのインフラ整備は大切だと思った。

 

○「避難している町民」それぞれに寄り添う。

 また、リスナーに伝えたいことは何かと尋ねると「避難者は様々な問題を抱えている。そのため、避難者を突き放すのではなく、その人の立場に寄り添って物事を考えてほしい」と話す。

東京電力から賠償金を受け取る避難者が、「お金をもらっていい気になりやがって」などと周りから非難されることがある。賠償金は、原発事故によって住居や親族を失った人に対し、損害賠償として渡されるお金である。決してその人が得するためのものではない。望まない避難を強いられた人を冷たくあしらうのではなく、「もし自分が同じ立場だったら」と想像し、その人を受け入れることが大切だと思った。(櫻井)

「原発事故問題の本質とは」若者が被災地を訪れる

 東日本大震災による福島第一原発事故。

 テレビやラジオ等のメディアを見聞きし何となくその実態の大枠はわかるが、被災者のリアルな声はあまり聞いたことがない、という人は多いのではないか。

 私も、以前はその一人だった。しかし、「次世代に伝える。原発避難11年目ラジオ」のパーソナリティを担当したり、原発避難にまつわる様々なイベントに参加したりすることで、避難者の生の声をたくさん聞き、問題の本質を考えるようになった。そのような経験の一つとして、7月3日(日)に実施された被災地ツアーがある。

 

○取り壊した避難者の自宅跡にそびえ立つ雑草

 はじめに、双葉町から小山市に避難した北村雅さんの自宅跡を草刈りした。原発事故の影響により住めなくなってしまった自宅をやむを得ず取り壊す避難者が多く、そこに生い茂る雑草の処理に困っている人がたくさんいる。高々と立つ雑草を実際に見てみて、その問題を実感した。草刈機や鎌などを使ってしっかりと処理することができた。

 

○「きれいなエネルギー」原子力の尊さを訴えたポスター

 次に、双葉町にある「東日本大震災・原子力災害伝承館」に行った。館内には、震災にまつわる様々な展示物があった。なかでも印象的だったのは、原子力発電を賛美するようなポスターの数々である。今でこそ原発反対を唱える人は多いが、事故前はいかに原発がクリーンで安全なエネルギーとして見られていたのかがわかった。「ぼくたちのみらいをはこぶ原子力」というタイトルで小学生が描いたポスター。実際に運ばれたのは、果たして“明るい”未来だったのだろうか。

 

 

○「住民を町に戻らせるのは、早く死ねっていうことですか?」

 最後に、津波被害を受けた浪江町の請戸小学校を訪ねた。そこには、損壊した施設の様子だけではなく、被災者のリアルな証言も残されていた。なかでも印象的だったのは、「住民を町に戻らせるのは、早く死ねっていうことですか?」という、ある原発避難者の言葉。現在、被災地である福島県沿岸部の各市町村では、少しずつ避難指示解除が進められ、国は住民の帰還を望んでいる。それにもかかわらず、被災地では、生活するうえで必要なインフラや、病院、学校、店、働き口などが未だに不十分であり、安定した生活をするのは難しい状況にある。そんななか、本当に住民を帰還させて良いのだろうか。