次世代に伝える。

原発避難11年目ラジオ


東日本大震災による、福島第一原発事故。

それにより、多くの問題が生まれました。

 

避難先での不安定な生活、故郷に戻れない虚しさ、当時のことを口に出せないもどかしさ、賠償金が原因で受ける誹謗中傷…。

 

未だにそのような問題は消えていません。

そして、これから先も同じような事故・問題が起こりうるのです。

 

残された原発避難の問題に着目し、それを解決する社会づくりをしていきたい――――。

そんな思いで、この番組を放送しています。

 

担当パーソナリティは現役大学生の櫻井脩弥(さくらいしゅうや)。

 

"知っているようで知らなかった"、原発避難の問題について皆さんと一緒に考えていきたいです!!

 

 

 

『次世代に伝える。原発避難11年目ラジオ』

毎月第3日曜、17~18時にミヤラジにて放送中!

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「自分事であるはずの原発」。だけど他人事。忘れてほしい人たちがいる?

 今回は埼玉県在住のフリーライター吉田千亜さんをゲストにお迎えした。吉田さんは原発事故で避難してきた人(特に自主避難者)の声をきっかけに、「原発事故とは何だったのか」を追求している。

 

l  「危機感」と「申し訳なさ」が取材の動機

 吉田さんが取材を始めたきっかけは大きく2つだ。1つ目は「危機感」である。福島県と埼玉県では距離があるように感じるが、事故当時は「東日本は全部だめ、住めない」と言われていたという。「今は、それを忘れている」と吉田さん。私はこれを聞いて、原発事故を自分事としてとらえる姿勢が今の日本人に足りないものだと感じた。だから原発再稼働への危機感も薄いのだなと思った。

 2つ目は「申し訳なさ」である。原発事故はその時だけの問題ではなく、次世代にまで影響を及ぼすもので、50年前の「エネルギーへの欲望」が次世代に負担をかける結果を生んでしまったことへの申し訳なさを吉田さんは語っていた。

 

l  無関心が起こす「人のいない地域の復興」と国の思惑

 吉田さんの話を聞いて驚いたのは、「原発事故は単なる事故ではない」という点である。「復興」の場面でも、もっと複雑な要素が絡まりあっているという。

 福島県の太平洋沿岸は「浜通り」と呼ばれるが、浜通りでは現在「イノベーション・コースト構想」が行われている。政府の政策で、浜通りを「新たな産業基盤の構築を目指して、廃炉、ロボット、エネルギー、農林水産等の分野におけるプロジェクトの具体化を進める」場所にするという。

 そこで吉田さんは「浜通りの復興」についての関係法令、実施計画、政府答弁などの文献を全て調べた。「復興という都合の良い言葉を盾に、人がいないことを利用して政府にとって便利な土地として利用していると吉田さんは指摘する。「新型原子炉とか、ミサイルとか、ドローンとか、軍事研究をしても分からないですよね」とコメントおじさん(矢野さん)も言う。原発事故は政治も絡むような問題であったのだ。私はこの事実に驚くと同時に、その事実に気付けない現実に悔しさを覚えた。政府任せにするのではなく、意識を高く持つことが我々国民の責任なのだ。「日本の復興は、地面の復興であって、避難した人の人生の立て直しではない」という矢野さんの指摘ももっともだと思った。

 

l  「自分事として」身近な人と原発避難の話をする。

 若者に求めるものとして吉田さんは「話をすること」という。「原発事故という明らかに重い話を身近な人とする機会は少ないかもしれないが、身の回りから伝えていくことが多くの人に知ってもらうためのバトンになる」という。

 

 たしかに、「自分にも関係がある」という意識を身近な人と持つことが重要だと思った。(吉田)

1/24 原発事故の「責任」は誰のもの? ゲスト:吉田千亜さん

 皆さんこんにちは‼2023年を迎えるとともにラジオ学生がバトンタッチされました。新ラジオ学生の吉田美音です。「次世代に伝える。原発避難11年目ラジオ」はレギュラー化され、今月から毎月第三火曜日への移動となりました。

 

 さて、今月は明日1月24日放送で、ゲストは埼玉県のフリーライター、吉田千亜さんです。初見の方もいらっしゃると思いますが、私たちの番組ではいままで「原発避難民の方の声や現実を世の中の多くの人にもっと知ってもらおう」という信念のもと番組を運営してまいりました。今回は「原発避難民の方を取材されている方を取材する」という初の試みです!ということで、番組に福島県以外で震災を経験された方をお招きするのは初めてです。吉田さんはどうして原発について取材するようになったのか。人一倍原発について追及する動機はなにか。原発を追求して突き止めたものはなにか。2011年の原発事故は単なる災害ではない!実は政治とも関わっている…?フリーライターの吉田さんだからこその視点をリスナーさんの皆さんにも共有できればと思います。ぜひお聴きください!

(吉田)

 

質問してみたい方はどんどんコチラまで‼

→(773@miyaradi.com)

 

リスナーの皆さんのご意見・ご感想もお待ちしております‼

 

ミヤラジ(77.3FM)にて毎週火曜19:00-20:00オンエア!

 

「お前んち、賠償金貰っているだろ」心ない言葉や妬みを生んだ原発避難

 ○デイサービス職員。高齢者とともに避難

 7月17日の「次世代に伝える。原発避難11年目ラジオ」では、福島県双葉町出身で現在は小山市に住んでいる北村雅(きたむら・ただし)さんに話を聞いた。

 東日本大震災当時、双葉町の社会福祉協議会職員だった北村さんは、デイサービスセンターで働いていた。利用者と触れ合い充実した生活を送っていた矢先、3月11日に突然の大地震が襲いかかった。北村さんは、その時のことを振り返り「割れたガラスが突き刺さって死ぬんだと思った」という。

 何もかもが混乱した状況の最中、その日は多くの利用者や従業員が帰れなかったため、施設内で一晩を過ごした。北村さんは、利用者が不安にならないように、ニュースで見聞きした情報をむやみに伝えず、ただひたすら寄り添っていたという。北村さん自身も不安だったはずだが、他人を想って行動していたことに感動した。

 翌日12日に福島第一原発が爆発し、社協職員として高齢者連れの避難が始まる。13日から19日頃までは、双葉から60kmほど離れた川俣町の体育館に避難した。しかし、その後も安心して休むことはなく、郡山市の特別支援学校で避難者の支援をする日々。また、奥さんは別の避難所にいたため、しばらく再会することができなかったという。大切な人と突然会えなくなるのは非常に切ないだろうと思った。

 20日からは、埼玉県へ双葉町民の一斉避難が始まった。さいたまスーパーアリーナや加須市の県立騎西高校などが避難所となり、大勢の町民がそこで暮らした。その間北村さんは、小山に住んでいた息子の元に行き、4月2日に家族と再会。その後、平日は埼玉で避難者支援、週末には小山に帰り家族と過ごす生活を送った。

 

○「解決していていないことは、たくさんある。話し合いが大事」

 翌年1月には、いわき市に建設された仮設住宅で3年2ヶ月もの間、単身赴任で避難者支援の仕事をした。避難者と親しみ合い充実した生活を送っていたが、避難者間の分断が窺える場面もあったという。「仕事がある人」や「家族と住めるようになった人」、「家が残っている人」を妬む避難者もいた。それが原因で「その話題は触れないでおこう」という雰囲気が生まれ、次第に自分自身のことを話す人が少なくなっていった。

また、いわきの学校に転校してきた子どもが、他の生徒から「お前んち、賠償金貰っているだろ」と揶揄され、いじめを受けたこともあった。そんな人間同士の傷つけ合いがある現実を知り、胸が痛くなった。

 次世代に伝えたいことは何かと聞くと「同じ方向をみんなが向けたら良いなと思う。解決していないことはまだたくさんある。だから話し合っていくことが大事だ」と話した。「自分がその人の立場だったら」と想像して寄り添うことこそが本当の復興につながる第一歩なのではないか、と感じた。(櫻井)

原発避難のリアルを若者(まご)に伝える伝承イベント

〇原発避難者の生の声を聞ける絶好の機会

 東日本大震災による原発避難。あなたは、その問題の本質とは何かを考えたことはありますか。

 10月8日(土)に下野市のコミュニティセンターにて、栃木県内の原発避難者と大学生の若者が交流するイベントを開催しました。これは、原発避難の実際を次世代に伝承することをねらいとしたものです。

 企画・運営を務めた私(櫻井)は、福島県三春町出身の大学生。自身が福島出身であるにもかかわらず、今まで原発避難のことを知ろうともしませんでした。それは、知る機会がまわりになかったからだと思います。そのため、他県の若者にとっては尚更程遠いテーマだろうと思い、このイベントを企画しました。

 

 イベントは三部構成で開催しました。

 第一部はレクリエーション。「ペタンク」という体を動かすゲームを行い、参加者間の緊張がほぐれる活動となりました。意外と難しかったようですが、チーム同士で競い合う刺激的なゲームに、楽しんでいる様子でした。

 第二部では、福島県双葉町から避難してきた北村雅(きたむら・ただし)さんと私でトークショーを行いました。北村さんとは、昨年から「次世代に伝える。原発避難11年目ラジオ」という番組で共演していました。番組を通してどのようなことを感じたか、次世代に伝えるべきこととは何か、といったテーマで熱弁する北村さん。参加者はみな真剣なまなざしで聞いていました。

 第三部では、若者と避難者同士でワークショップを行いました。6グループに分かれ、それぞれのグループ内で「避難当時に欲しかった支援」「助かった支援」「次世代に伝えたいこと」の3つのテーマで話し合いました。避難を経験していない人には「もし自分が避難者だったら」と想像して考えてもらいました。避難者のなかには事故当時のことを話したくないという人も多く、難しいテーマでしたが、胸の内を打ち明けていただいたことで自身の安心感にもつながったと思いますし、若者にとっても避難のリアルを知るとても良い機会になったと感じました。

 

〇来年も再来年も開催していきたい

 アンケートへの回答をたくさんいただきました。

「生の声を聞くのは初めてだったのでとても良かった。」

「話してみるといろいろ思い出して、もっと話したくなった。」

「当時を思い出して、辛くなった。」

「避難者が不快な思いをしなかったか、少し気になった。」

「伝えることの大切さを知った。」

など、さまざまな意見がありました。

 このような、避難者の生の声を聞くことができる伝承イベントは他になかなかありません。より多くの若者に避難のリアルを知ってもらうため、今後も引き続き本イベントを開催したいと思いました。(櫻井)

原発避難者の方々と楽しくサコッシュづくり

 11年前の東日本大震災による原発避難。それにより、栃木県にも避難してきた人がたくさんいます。その数およそ二千七百人(令和4年現在)。

 そんな県内の避難者が毎月交流し合う「ふくしまあじさい会」という集まりがあります。

 

 「次世代に伝える。原発避難11年目ラジオ」(https://www.tochigivnet.com/fukushima10-radio/)の学生パーソナリティをしている私(櫻井)は、避難者ではありませんが、あじさい会の雰囲気が好きで毎月参加しています。

 9月8日(木)のあじさい会では、かごのサコッシュづくりが行われました。

 クラフトを専門で行なっている方々が、作り方を一から丁寧に教えていただいたおかげで、なんとか完成!

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「これからどうなるのだろう」原発事故小4、漠然とした不安

○「なんで自分がこんな目に…」転校先の友人に見せなかった思い

 5月15日の「次世代に伝える。原発避難11年目ラジオ」では、福島県葛尾村出身の吉田尚輝(よしだなおき)さんをゲストにお呼びして話を聞いた。吉田さんは、私(櫻井)の小中学生の頃の同級生である。小学5年生の震災当時、葛尾村から私の小学校に転校してきた。それまでに2、3回も避難先を移転していたという。

 はじめは、近所の体育館で避難生活。当時は食や風呂などの生活環境が整っておらず、精神的な負担が多かったという。「これからどうなるのだろう」という漠然とした不安があった。

その後、会津に住居を移し一時的に市内の小学校に通い始めたが、そこではいじめや嫌がらせなどがあった。「なんで自分がこんな目に遭わなきゃいけないのか」と悩むこともあったようだ。

 その後、私の地元の三春町にある仮設住宅に移り、町内の小学校に転校してきた。当時の吉田さんは、避難で大変な思いをしている様子を一切見せなかったため、同等な立場である普通の友人として学校生活を共にしていた。しかし、実際は多くの悩みを抱えていた。仮設住宅にはゴキブリが大量発生したり、防音性がなく近所の生活音にストレスを感じていたこともあったという。避難当時の話を聞いたのはこのラジオが初めて。あらためて吉田さんをゲストに呼ぶことができて良かったと思う。

 

○「福島は“復興”だけでなく、成長している」

 これからの活動について話を聞いた。

「福島=震災・原発事故が起こった場所、というイメージをなくしたい。まずは福島に訪れてみて、地域の魅力を知ってほしい」と話す。

福島県内の学生が集うコミュニティサークル、SFF(Spread From Fukushima)でも活躍する吉田さん。

「福島県は復興しているだけではなく成長している。福島県を盛り上げようと頑張る若者の活躍を多くの人に知ってもらいたい」と語った。「福島って意外と良いところだな」と思ってもらえるように、私自身もできることをしていきたいと思う。(櫻井)

「本当に良いところだった」。大好きな故郷を帰れない所にした原発事故

 6月19日の「次世代に伝える。原発避難11年目ラジオ」では、福島県浪江町出身で現在は茨城県つくば市に住んでいる木幡サチ子(こわた・さちこ)さんをゲストにお呼びし、話を聞いた。

 

○地震、津波、原発事故…。3つの危機が襲いかかったあの日

 3月11日は、娘の学校の卒業式の日だった。学校から家に帰り、着替えをしていた時に大きな揺れが襲ってきた。慌てて外に飛び出し向かったのは、周りに建物がない田んぼのなか。そこで、しばらく様子をうかがっていると、古い民家が崩壊していくのを見た。立っているのもままならない程の大きな揺れがしばらく続いた。やっと揺れが落ち着き、家に戻り片付けをしていると、当時沿岸地域に住んでいた息子から「津波で家が流された」という連絡が来た。事態の深刻さを把握し、翌日避難を開始。避難の最中に車のなかでテレビを見ていると、「福島第一原発が爆発した」というニュースを知る。その時、外に灰のようなものが飛んでいた。「もしかしたら爆発のものだったのかも」と思った――と当時を振り返る。

 

○心から愛していた故郷。もう戻れないつらさ

 避難したのはいいものの、当時受け入れてくれる避難所がどこにもなかったという。「ここは双葉の避難所だから!」などと、他地域から来る人を拒む場所ばかりだった。しかたがなく、12日の夜は川俣町のとある公園の脇に車を停め、寒い思いをしながら車中泊をした。

 翌日、妹から「筑波に来たら?」と言われ、家族12人で茨城に向かった。当時は「ちょっとしたらすぐに帰れるだろう」と思っていたが、その後故郷で再び過ごせる日は来なかった。「まさか自分の生まれた土地を離れるとは思わなかった」と話す。現在はつくば市で新しい家を建てて暮らしている木幡さん。時に周りから「今の家、立派で良いじゃないか」と言われることがあるが、それで満足できるわけではない。故郷に戻れないことによる憤りや不安は一生消えないのだ。木幡さんの実家は既に更地になっているが、時々家跡に帰ると落ち着くという。ストレスで病気になった人が故郷に帰ると治る、という避難者もいるらしい。木幡さんは「浪江町は本当に良いところだった」と話す。長年暮らしてきた愛すべき故郷を手放すつらさを想像してみてほしい。(櫻井)

「帰還町民」の暮らしの下支え、「避難町民」への寄り添い。双葉町長インタビュー

○「戻らない6割」の中で、豊かな暮らしを創る。

 昨年6月から今年の3月まで放送された「次世代に伝える。原発避難10年目ラジオ」。その続編を「11年目ラジオ」と改め放送することになった。4月17日は、福島第一原発がある双葉町町長、伊澤史朗(いざわしろう)さんに話を聞いた。

 伊澤さんは震災から2年後の2013年に双葉町長に就任した。それから現在に至るまで町の復興に尽力し、今年6月には避難指示区域の解除に努めた。しかし、昨年8月に行われた双葉町住民意向調査によると「戻りたいと考えている」が11.3%、「まだ判断がつかない」が24.8%、「戻らないと決めている」が60.5%、「無回答」が3.3%だった。

戻らないと考えている人が大半である現状で、帰還者が豊かな生活を送るために必要なことは何かと尋ねた。「世代によってニーズは違う。特に高齢者が多いため、それに合わせた施策が求められる」と話す。避難先での生活に慣れ親しんだ子どもや若い世代より、長い人生を故郷で送った高齢者の方が、帰還意志が強い傾向にある。そのため、病院の数を増やしたり高齢者同士が交流する機会をつくることが求められるという。震災前の生活を完全に取り戻せないが、町で安心して生活するための暮らしのインフラ整備は大切だと思った。

 

○「避難している町民」それぞれに寄り添う。

 また、リスナーに伝えたいことは何かと尋ねると「避難者は様々な問題を抱えている。そのため、避難者を突き放すのではなく、その人の立場に寄り添って物事を考えてほしい」と話す。

東京電力から賠償金を受け取る避難者が、「お金をもらっていい気になりやがって」などと周りから非難されることがある。賠償金は、原発事故によって住居や親族を失った人に対し、損害賠償として渡されるお金である。決してその人が得するためのものではない。望まない避難を強いられた人を冷たくあしらうのではなく、「もし自分が同じ立場だったら」と想像し、その人を受け入れることが大切だと思った。(櫻井)

「原発事故問題の本質とは」若者が被災地を訪れる

 東日本大震災による福島第一原発事故。

 テレビやラジオ等のメディアを見聞きし何となくその実態の大枠はわかるが、被災者のリアルな声はあまり聞いたことがない、という人は多いのではないか。

 私も、以前はその一人だった。しかし、「次世代に伝える。原発避難11年目ラジオ」のパーソナリティを担当したり、原発避難にまつわる様々なイベントに参加したりすることで、避難者の生の声をたくさん聞き、問題の本質を考えるようになった。そのような経験の一つとして、7月3日(日)に実施された被災地ツアーがある。

 

○取り壊した避難者の自宅跡にそびえ立つ雑草

 はじめに、双葉町から小山市に避難した北村雅さんの自宅跡を草刈りした。原発事故の影響により住めなくなってしまった自宅をやむを得ず取り壊す避難者が多く、そこに生い茂る雑草の処理に困っている人がたくさんいる。高々と立つ雑草を実際に見てみて、その問題を実感した。草刈機や鎌などを使ってしっかりと処理することができた。

 

○「きれいなエネルギー」原子力の尊さを訴えたポスター

 次に、双葉町にある「東日本大震災・原子力災害伝承館」に行った。館内には、震災にまつわる様々な展示物があった。なかでも印象的だったのは、原子力発電を賛美するようなポスターの数々である。今でこそ原発反対を唱える人は多いが、事故前はいかに原発がクリーンで安全なエネルギーとして見られていたのかがわかった。「ぼくたちのみらいをはこぶ原子力」というタイトルで小学生が描いたポスター。実際に運ばれたのは、果たして“明るい”未来だったのだろうか。