↑クリック!(各サイトに)




◆毎週木 14時~ フードバンク会議


*Vレンジャー「キャンプで救う!子どもの貧困」学生・若者ボランティア募集中。

現在22名。参加したい方はご連絡ください。

 



現在、ご飯は食べず対面+オンラインで会議を実施しています

 

◆2/27(土)9:30~ 泉が丘おたすけ隊MTG

◆3/25(水)19:00~ サンタ会議

 

  *消毒や換気など対策をしています。 




「元に戻してくれるなら何もいらない」。故郷の喪失=原発避難者の思い。

 2011年3月11日14時46分…日本列島を大きな揺れが襲った。東日本大震災。北陸地方の津波被害が連日報道される一方で、もう1つ大きな事故が発生していた。福島第一原子力発電所における原発事故(炉心溶融)だ。

 

「持ち出したのは、着替えと財布だけ」

 2月16日のゲストは小峰和子さん。震災発生当時、福島県浪江町大堀で「大堀相馬焼き」の窯元をしており、福島第一原発から直線距離で北西に9kmの地域だった。

 3月11日夕方、町役場の避難指示に従い「2~3日分の着替えと財布」だけを持って避難した。「落ち着いたらすぐに家に帰れるだろう」と思って選んだ持ち物だった。

 しかし、その想いはすぐに裏切られる。3月13日昼、消防団で地域を見回っていた息子から「自宅のある地域に防護服を着た人が立っていて『立ち入り禁止』と言われ自宅に帰れない」という連絡を隣町の避難所で聞いた

 

避難での苦労、助かったこと、改善すべき支援…を、誰が伝えるのか?

 大堀→津島→南相馬→白河での避難生活を経て宇都宮での生活を3月16日(5日後)に開始した。助かった支援は「※みなし仮設」だったと小峰さん。

 3年という利用期間の制限はあるものの、生活を立て直すにはありがたかったし、日本赤十字社から電化製品の提供もあったと話していた。デメリットは「一度入居した後に住所の変更ができない」こと。例えば家族の勤務先やこどもが通う学校との距離など「住んでみないとわからないこともあるので、その辺りは少し融通が利くといいな」という。

 でも、よく考えると、こうした改善提案が次の災害で生かされるかは分からない現実とコメント矢野おじさん。

「なぜなら、次の被災者はまだ発生していないし、被災した自治体そのものが初めての災害経験だったりする」とのこと。誰が伝えるかというと「関わった支援者=ボランティアだ」という。〝災害〟を伝えるのは「知ってしまった人=被災者・支援者」の責任が大きいのだと思った。

 「地方銀行のキャッシュカードは地元を離れると対応していない。全国で使えるカードを持っていないと何かあった時にお金を引き出せないのよ」

 取材の中で小峰さんの言葉を聞いた時にハッとした。いつ災害や事故に巻き込まれて避難が必要になるかわからない中で、〝その時〟に対応できるように準備するのは全員には無理だろう。だから「支援した経験、被災した経験を誰かに託す」ことが必要だと思った。

 

「元に戻してくれるなら何もいらない」 

 小峰さんが住んでいた場所は、今も「帰宅困難区域」となっている。特別な許可がなければ立ち入りできない区域だ。

 取材で、震災5年後の荒れ果てた小峰さんの自宅の写真を見せてもらった。何もなかった場所に木が生えて、バラの茎が伸びて窯元の看板を半分以上覆っている写真…。

 その写真の説明をしながら涙ぐむ小峰さん。家の手入れも自由にできない悔しさ…。

 「原発事故さえなければ元の場所に住めたのに。10年経ったと言われても喪失感は当時と全く変わっていない」

 そんな絞り出すような小峰さんの言葉を聞いて、心がえぐり取られるような気持ちになった。東日本大震災・原発事故は何年経っても忘れてはならない、と同時に多くの方に伝えていかなくてならないと強く感じた。(伊東)

 

※みなし仮設:災害で住家を失った被災者に対し、地方公共団体が民間賃貸住宅を借り上げて「仮設住宅に準じるものとみなす制度」。家賃は地方自治体が負担する。東日本大震災では64%(74810戸)がみなし仮設で、プレハブ(48913戸)に代わり主流化したと2021/1/23の内閣府への取材で分かった。 

迷走人生と、福祉の仕事の出会い

障害者の生活介護から就労のサポートまで

 今回のゲストは障害者福祉施設に勤める濱貴司さん。鹿沼愛隣福祉センターで働く。生活介護、就労継続支援(B型)、就労定着支援、指定相談支援をやっている事業所だ。障害者の介護や、就労が困難な人や仕事が長続きするように支援することが中心の仕事であるセンターだけでもこれだけの活動をしているが、独自に地域の高齢者や生活困窮などに対する「なんでも相談窓口」を展開している。障害者以外の外部へのアプローチができるのもいいなと感じた。

 就労継続支援B型事業の給料は作業能力や貢献度に応じた「工賃」で支払われる。ある人はネジを袋に入れるだけ、ある人はネジの向きをそろえるだけといったように、利用者の能力を最大限に引き出せるよう工程を分け、どんな人でも作業に加われるように配慮する仕事だ。

「福祉は、やりがいがある仕事」という濱さん。今の仕事に至るまでを聞いた。

 

挫折。「人の役にたつ仕事」との出会い

 濱さんは工業高校の建築科を卒業して就職した。だが、自分の居場所がわからなくなり、精神的にも追い詰められて1年半でやめる。一度目の挫折。

 その後は様々なアルバイトをしつつ生計を立てた。学校給食の食材納品を長く続けていたが、仕事がなくなる夏休みに「毎年車で旅をする」人生を送っていた。自販機補充のバイトのとき助手に「福祉を学んでみたい」と相談され、仕事帰りに専門学校の案内を見に行った。これが「福祉との出会い」だった。

「人の役に立つ立派な仕事が、自分に本当に合っているのか」と不安もあったが、皆に背中を押され28歳で介護福祉専門学校に入学。異年齢層との交流、ボランティアでの障害者との出会いなどがあり、自分の今までの経験を活かせる障害者の就労支援を目指した。

 30歳で大学に編入。ボランティアサークルで多くの人と交流したが、大学卒後就職できず、二度目の挫折。でも、ボランティア仲間の(のちの)奥さんの紹介で、栃木で就職をした。

 

人生は、旅。「人との出会い」

「人生は旅のようなもの。大切なものは人との出会い、支え合いですね。旅で一番楽しいのは、美しい景色を見たり、おいしいものを食べることではなく、地元の人との交流や旅人同士の交流」という。

 迷走人生をふりかえって「人は一人では生きていけない」と感じた濱さん。最後に伝えたかったのは、様々な場面で出会い、支えられてきた人々、今の仕事に携わらせてくれる利用者さん、一緒に仕事をしてくれる仲間、今も全力で支えてくれる家族に対する感謝だった。

 挫折をしても、無駄な時間を過ごしても、人生を諦める必要はないと濱さんは私たちに思わせてくれたのではないだろうか。(たなか)

消えない「喪失感」。 失ったものの大きさ、を想う。

 今回(1/26)のゲストは、福島・双葉町からの原発避難者の半谷八重子さんでした。当時6人で暮らしていた半谷さんに被災地・福島の状況や、車での避難、栃木での避難生活の困難など「原発避難について」お話を伺いました。あれから10年、半谷さんの話で震災や原発事故を初めて考えることができました。

 

♠安全神話…「原発事故は限りなくゼロ」だったはず!!!

 3月11日、半谷さんは車で外出中。家に戻ると近くのJR常磐線の高架橋が真っ二つに折れ、地震の大きさを実感したと言います。

 「原発は大丈夫なのか?」と脳裏をよぎったそうですが、「原発は、何よりも安全を最優先しているから『事故の可能性は限りなくゼロ』だし大丈夫だろう。避難しても2・3日で帰れる」と思っていたそうです。

 翌朝7時頃、全町民へ川俣町へ避難を指示する防災無線が流れ避難しました。普段なら車で1時間半(40km)ですが大渋滞で到着に8時間、午後4時でした。川俣に着いても避難所はどこも一杯。ようやく見つけた10畳の部屋に15人が折り重なるように入り、「眠るにも眠れなかった」と半谷さん。

 翌朝(3/13)、宇都宮に住んでいる娘と電話がつながり、避難場所を伝えたところ「そこにいちゃダメ! すぐに宇都宮に来て!」と言われたそうです。この時まで半谷さんは原発事故のことは知らなかったそうです。被災地では「逃げろ、逃げろ」というばかりで、情報がなかったのです。

 そして3/15の早朝に川俣の避難所を出発。車のガソリン不足で、娘の夫に途中まで迎えに来てもらい、やっと宇都宮のに到着。「4日めに娘の家のお風呂に入ったとき、その湯けむりに感動した」と半谷さん。私=小熊はこの話を聞いて、避難の過酷さを痛感しました。

 その後、娘宅には20日間いたそうです。

 

♠「いじめ、いやがらせ、デマ」…コロナでも同じ構造だ。

 孫の学校が始まるというので、4月はじめ宇都宮市内の2LDKの部屋に移動。しかし6人で暮らすには手狭で、さらに別の一軒家を探したとのこと。不動産屋や知人に聞いて夫と毎日近所の空き家を回ったそうです。ちなみに『とちぎ暮らし応援会』の今回のアンケートでは、避難者の平均的な引っ越し回数は5回。中には10回以上引っ越しをしている人もいました。

 半谷さんが探していた一軒家は民間賃貸住宅借上の仮設住宅(みなし仮設)というもので、役所が家賃を支払ってくれる制度です。

 半谷さんが宇都宮の娘の近くに住むと決めたのは、孫の学校を転校させたくないから。当時は、転校して福島と分かるといじめられたり、福島ナンバーの車が傷つけられるなど、いじめ、いやがらせ、デマがありました。今のコロナの噂・デマの横行も同じで、世の中が不安に支配されたときには同じ状況になるのだなと思いました。

 

♠消えない喪失感

 「なんでこんなことに!」

 一時帰宅で福島・双葉の自宅を見た時に感じたそうです。辺りは地震で崩れたまま。田圃の柳が大木となり、手入れをしていた庭は雑草や低木が伸び放題。野生動物が入って荒れ果てた自宅を見るのは辛いと言います。それでも毎回、水と箒、タオルも持って掃除に通う。イノシシに5回も入られ「原発事故さえなかったらと、泣き泣き掃除をした」と言います。

 このほかにも自主避難と避難区域内の人の支援の差や、母子避難と離婚の増加、被災地内での賠償額の格差による住民の分断など、様々なことを語っていただきました。

 そして「原発事故がなければ、こんなことにはならなかった」という半谷さんの行き場のない怒りや苦しみ。「家を新築して生活はするけれど、故郷を思わない日はない。双葉での平凡な暮らしがいかに幸せだったか」と。

 全てを失った喪失感は計り知れないと、私は感じました。そしてこの喪失感が避難者の全員の心の奥にあるのではないかと思いました。(おぐま)

2/16ラジオ 東日本大震災被災者 小峰和子さん

 2/16の放送は、ラジオ社会人・伊東、ゲストには、東日本大震災の際に福島県で被災され、現在は栃木県宇都宮市にお住まい「小峰 和子」さんをお迎えしてお送りいたします。

 

 2011年3月11日14時46分18秒に発生した「東日本大震災」から、間もなく10年を迎えます。

 そこで、みんながけっぷちラジオでは今週から数週間に渡って東日本大震災で被災された方をゲストにお呼びして当時のお話や、今を生きる皆さまに知って欲しいお話などを伺います。

 小峰さんには、被災直後からの避難にまつわる話や、福島第一原発事故について。「避難指示」と「自主避難」の違いとそれに伴う弊害。などについてお話いただきます。

 ラジオに出演していただくにあたり、事前取材に伺いました。お話されているうちに当時を思い出し目に涙を浮かべてらした小峰さんに釣られて私も泣きそうになってしまいました…。

 

 放送は16日の19:00からミヤラジにて。パソコン専用アプリからもご視聴いただけます!ぜひお楽しみに!

 

〇メールは 773@miyaradi.com まで

〇リスナーの皆さんのご意見・ご感想、お待ちしております!

〇ミヤラジ(77.3FM) 「みんながけっぷちラジオ」

〇火曜19:00~20:00 オンエア!