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とちぎ県北ボランティア
フードバンク県北 / 子どもの居場所 スマイルハウス
営業時間
学生・若者ボランティア募集中。現在15人。
毎月1〜2回の会議で、当日までの企画を一緒に考えてくれる人募集中。
ボランティア大募集!
◎相談聞き取りボランティア
◎食品回収ボランティア
◆毎週木 15時~ フードバンク会議
珠洲の親戚が、我が家に移住。
震災から2週間後、珠洲市の親戚夫婦が病院の閉鎖をきっかけに鹿沼市の我が家に移住しました。半年間の移住生活の間に栃木でたくさんの人と交流し、「能登人のやさしさ」を伝えてくれました。
7月、病気も奇跡的に治癒し、珠洲の自宅に戻られました。家は無事で屋根や壁を改修工事して、ゲストハウスとして必要な人々に開放したので、栃木のNPOや子ども食堂で支援団体を結成し、宿泊させてもらい音楽や演劇のイベントをしました。
国が国民を大切にしてないぞ。コミュニティを作る自覚を
珠洲には過去4回訪れましたが、復興は遅々として進まない印象を受け、国が国民を大切にしない在り方が見え、国に頼らず一人一人がコミュニティーを作る自覚を持つことの必要性を痛感しました。フリースクールと障害者施設を運営し、社会的孤立の問題に常日頃向き合っている立場から、災害に関しても孤立・孤独を防ぐために今の自分のできることは何かを探したいと思い、参加させていただきました。
「思いの丈」を聞く:苦労の家を解体/自然好きだが外出できない…
今回は足湯とアロママッサージをさせてもらい様々な思いを話してもらえました。
「自然の中にいることが好き。でもひとりで散歩をしていると自殺するんじゃないかと思われそうだから外に出られない」。
「苦労して、苦労してやっと立てた家だったんだよ。家がないと嫁さんに来てもらえないからね。でも解体されちゃった」
と、短い時間に思いの丈を話していただきました。その方たちの編み物が非常に上手だったので作品展や販売活動につなげられたらと思いました。趣味が少しでも生業に結び付くと励みになるのではないかと思います。
募金活動だけでは「心のつながり」が作れない気がする
また、初めて訪れる町野町という地域の現状と伝統文化、美しい自然と生業を必死に守っている人々に触れ、その生業を少しでも応援できたらと感じ、スーパーの商品や熟成みそ、ニンニクなどを購入させていただきました。奥能登の生業を支える購買力はまだありませんが、少しでも頑張っている地域のことを知ってもらい、身近に感じて応援してくれる人を増やし、つなげていきたいと思います。
伝統行事・情景・祭りを聞き、訪れたい人を増やす「能登カフェ」
全国各地で復興応援イベントは開かれていましたが、普通の募金活動では人と人との心のつながりがつくれないと感じていたので、今まで何回か「能登カフェ」を開催し、能登の海産物やお菓子を販売し、お茶を飲みながら、災害前の能登の美しい情景や祭り・伝統行事の話を聞く会を催してきました。販売できるもの品数が増えてくるとより一層の能登が身近になることと思います。そして、能登を訪れたいと思う人々を増やし、自然環境とコミュニティーづくりに関して考える人が少しでも増えていくことを願い、本当の豊かさとは何かを模索しながら、これからも仲間を募り活動を活性化していきたいと思います。(福田由美/NPO法人CCV=フリースクール&障害者支援)
#日本財団
#ボラサポ共同募金
去年の珠洲よりも進んでいない町野
輪島市町野町に初めて訪れる。昨年珠洲市に6月と10月にいってアロマケアをした経験よりも地域の復興支援か進んでいない。
前向きになんとかせにゃーと頑張っている方。地域でつながりボランティアさんたちと次のステップにはいあがろうとしてる方。そして長期災害被害からのストレスが心身にまで影響のある方に出会いました。
そしてとちぎボランティアネットワークの思いと行動を2泊を共にすごして、暖かいものを感じました。
体調不良と未病を防ぐ“アロマ伝道師”
私が提供できることは、長年看護師としてのスキルを伝えて、自力でセルフケアをやって「未病」を防ぐ事と、自身の体調不良をアロマケアで克服した体験から「アロマケアでの癒しとリラックス」です。
芳香が気分を明るく前向きな気持ちにしてくれたり、不純物ゼロの塗布が可能な精油で体が軽くなる体感があるからです。
このボランティアというキーワードからつながった今回のチームは明るい笑顔と実行力で、よく食べよく寝る。だからこそ、町野町の人を元気づけられている! 地域再生の光を一緒に創作されていると感じました。
受け入れて参加させていただき、ありがとうございました。また参加したいと思います。(いとうあけみ/鹿沼の人)
#ボラサポ共同募金
#日本財団
被災地のためになってるように見えない活動
私は2月中に2度、能登のボランティアに参加した。一度めは仮設住宅の集会所で足湯や「まけけないぞう」作り、栃木産いちご400パック配り。二度めはもとやスーパーの片づけとひな人形飾りだった。感じたことを述べたい。
今回初めての災害ボランティアだった。印象は「意外と小さな活動だな」とか「便利屋のようになんでも引き受けるんだな」だった。ボランティアで被災地を助けよう等と大きく意気込んでいたわけではないが「予想よりも草の根レベルだ」と感じた。また肉体労働というより、被災地の人の身の回りの悩み事を解決したり、足湯や手芸で交流することなので「本当に被災地のためになっているのか」はじめはわからなかった。
衣食住の「その後が大変」
しかし、災害から1年たった今の活動は「外部からは気づきにくい問題、政府や自治体の手の届かない問題」が多く残っているとわかった。
例えば仮設住宅の防寒対策に、カーテンを配ったり、梱包材のプチプチを窓に貼る作業があった。仮設住宅が建設され住居ができたので「問題は解決した」と思えるが、実際は地域の環境に適した家の作りでなかったり、以前のコミュニティ(人間関係)が崩れてしまったりと課題があった。災害が発生すると、衣食住という基本的な部分を整えることにまずは必死になるが、「その後が大変」なのだと実感した。
そのため、被災者が抱える大小様々な悩みについて、それを聞く人、伝える人、解決する人として継続的にボランティアを行うのはとても重要だとわかった。
被災地走る県外ナンバー。「その数だけ味方がいる」と感じていた
また、私は今回のボランティアを終えて「人のつながり」について考えた。というのも、2度目のボランティアで、おばあさんの肩もみをしていた際に「これも何かの縁やわ」と言われたことがとても印象に残っている。
私は岩手県陸前高田市出身であり、東日本大震災を経験した。当時多くの県外ナンバーの車が走り、その数だけ味方がいるような気がした。そんな経験もあってか、今回私は微力ながら恩返しのつもりでこのボランティアに参加した。このような経緯と現地のおばあさんの言葉をふりかえり、私は誰かの思いやりがまた他の誰かにつながり、そしてそのつながりが思いやりを生むのだと感じた。私は石川県の人に助けられたから石川県に災害ボランティアに行ったのではなく、様々な人に助けられ今があるから、私も誰かに同じことをしたいと思ったのだ。
ボランティアで会った人は「他人とちがうつながり」がある。
また、ボランティアをしなければ関わらなかったであろう人と話すことができた。そのような人たちとは親密にならなくても、2度と会うことがなくても他人とは違う、少しのつながりが生まれる。例えば、どこかで災害が発生したとき、「そういえばあの人は○○県出身だと言っていたな、無事だろうか」と少しでもその人、その場所を気にかけることができるようになる。きれいごとだと言われればそこまでだが、私は今回のボランティアを通じて助け合うことの価値を少し理解できた気がする。(亀井あかり/宇都宮大・学生)
#共同募金ボラサポ
#日本財団