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「人目を気にして黙るか、仲間を探すため声を上げるか」―自主避難者のジレンマ

88() みんながけっぷちラジオ特別版「次世代に伝える原発避難10年目ラジオ」では小山に自主避難して9年目の黒木久美子さんにお越しいただきました。黒木さんは子育てとの両立を考え、また若者の未来を願って学習塾の起業を考えているなか、東日本大震災に遭い小山へと母子2人で自主避難。そんな彼女の震災当時から今まで生活を語っていただきました。担当ラジオ学生は佐藤、コメントおじさんは北村さんでお送りしました。

 

子育てと仕事の両立のため「起業しよう」と決断した黒木軍曹

 黒木さんは元自衛隊員で日本の各地を転々としていたが、子育てとの両立に悩み実家のある福島県福島市へと戻った。地元で工場に勤めながら両親の手を借りて子育てと仕事に奮闘するが、次第に苦しくなり、一大決心して学習塾の起業を考えた。その準備をしているときに東日本大震災が起きた。

 黒木さんはそのとき工場内にいて、地震で大型の機械が倒れそうになったり、天井のタイルが落ちてきた。外に出てみると余震で地面が波打つ様子がはっきりと見えた。地面が割れ電柱が倒れている道路を車で走らせていると、ラジオから女性パーソナリティが「危険です! 急いで安全なところへ逃げてください!!」と金切り声を上げていた。子供と合流し避難所で生活していたが、浪江町からの原発避難者のために場所を開けるように言われ、地震で被害があった家に戻ることになった。家は停電なので、黒木さんは近くの避難所に行って携帯を充電してSNSで食品や物資を募り、夜は真っ暗な自宅で生活していた。足りないものは母子2人で自転車を漕いでスーパーまで買いに行ったが、目の前でその日のパンが売り切れる場面に遭遇することもあった。

 

孤立無援だった自主避難の日々。

 起業のために小山へ引っ越してきたものの、つては一切なく、黒木さんが頼れる人はいなかった。当時は開業準備のため経済的に苦しく、補助金を使って他の人に部屋を借りてもらっていた。せめて福島からの避難者とつながりが欲しかったが、当時は福島に対する偏見の目が大きかった。窓はすべてカーテンを閉め切っての生活だった。

コーディネーターの北村さんは「初対面で“福島県から原発事故を受けて避難してきた”と自己紹介してしまう。だから人目を気にする悩みはなかった」という。

だが二人とも栃木県内で「福島からの避難者とつながる」ことは少なかったようだ。行政も「個人情報だから」と教えてくれない。最近になってようやく原発避難者が県内に2000人いる、という情報が伝わってくるようになった。

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黒木さんは人との縁に助けられ、起業した学習塾を小山で経営してきた。加えて、小山のコミュニティFM「おーラジ」の市民パーソナリティや、東日本大震災の被災者として講演するなど活動的だ。いろんな挑戦と決断をしてきているが、そのときの決め手は「子供の未来のため」か「人生一度きりだから」という理由だ。何度も困難に当たっても前向きに挑戦し続ける黒木さんの姿はラジオを聞いている多くの人に響くものがあったように思う。私も後悔しないように人生の中でいろんな選択をしていきたい。(佐藤)

 

 

みんながけっぷちラジオ特別版「次世代に伝える原発避難10年目ラジオ」は毎月第2日曜日に放送中!

次の放送日は来週9/12、11:00からです!パソコン・専用アプリからもご視聴いただけます。

 

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〇ミヤラジ(77.3FM) 「次世代に伝える原発避難10年目ラジオ

 

〇第2日曜11:00~12:00 オンエア!