不安な時のボランティア、役に立つボランティア、すれ違いボランティア。でも、「ボランティアで助かった」

・避難所の夜に民謡大会 「笑い声。みんなの顔つきが全然違った」

 地震が起きたとき帰れず、働いていたデイサービスセンターに泊まった。それからは利用者や職員と一緒に避難所を転々としていた北村さん。社会福祉協議会の職員だった。

 当日は、何が起こっているのかわからなかった。でもそんな「説明できないこと」について話していても仕方ないし、「夜には寂しくなるだろう」からと、震災の日、泊まるデイサービスセンターで「民謡大会」を行ったという。

 やはり初めての避難場所での泊まりは落ち着くことができず、眠れない人も多かった。民謡大会は楽しく開催でき、時々笑い声も聞こえ、みんなの顔つきが全然違った。「このような非常事態にそういうことをしてよいのか不安もあったが、自分も落ち着くことができた」という。

 北村さんは「今の状況を説明できず、何をしたら落ち着くことができるのかと考えた時に目線を下げて寄り添うのが大事だ」と語った。

 避難所の「さいたまアリーナ」ではボランティアや専門の人が避難者の倍くらい来てくれたから任せて、「自分たちは自分たちにできることをした」という。一人一人平等に話を聞くようにし、食事や排泄の介助を行った。

 アリーナでの夜は、小さい子供がいる職員は家族優先で帰宅する。だから10人の介護士で50人以上もの高齢者の介護を行ったという。避難所には要介護の人も一緒なため24時間付きっきりで1か月間そのような生活をすることになる。想像するだけでも大変な生活だっただろう。加えて一人一人に話を聞く。このような北村さんたちの働きが避難者を少しでも安心させたのではないかと思う。

 

・「避難者は日常を求めている」

 避難所には「避難者よりも多くのボランティアが来てありがたかった」と感謝する北村さん。「ボランティアには避難の状況を知ってほしい、見てくれるだけでよい。それだけでも意味があるのではないか」と語った。一番多かったのは「歌を歌いに来るボランティア」だった。しかし、中には要望していない歌もあった。それが「ふるさと」だ。そこには家族を亡くした人や家が流されてしまった人もいて、その歌を歌われたのは相当つらかったという。嫌がっている人もいた。

 このように、良かれと思ってボランティアしに行ったのが、逆に傷つけてしまうこともある。また炊き出しでも、カレーや焼きそばばかりで毎日食べるわけにはいかない。だから団体が集まって話し合い、毎日違うものが食べられるように調整したところもあったそうだ。矢野さんは「最初に行くボランティアと、1か月後2か月後に行くボランティアは全く内容が異なるし、支援者がいる避難所と、いない避難所でもボランティアの在り方は違ってくる。また昼行くのと夜行くのでも全く異なる」と。ボランティアと一言でいっても、内容やありかたは広範囲に多岐にわたっている。

 また「避難者は日常を求めている」と語る北村さん。特別なことではなく、折り紙や読書、洗濯、化粧など日常に戻れる一コマを感じさせるものもよいのではないかと思った。

(加藤)