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被災者になった時、「知ってるのと知らないのは雲泥の差!」

ロウソク片手に住民の安否確認

「次世代に伝える 原発避難10年目ラジオ」 2回目。7月11日(日)のゲストは茨城県結城市在住の三浦秀一さん(69歳)。福島第一原発事故発生当時は南相馬市小高区浦尻地区(原発から10.1㎞の漁村)で米農家を営んでいた。

東日本大震災発生の時(2011/3/11  14:46)、三浦さんは銀行にいた。頭をよぎったのは同居の目が見えない母親のこと。すぐに車で自宅に戻ったが、途中の橋が落ちていて迂回を余儀なくされ普段は20分で帰れるところを1時間以上かかりたどり着いた。母は無事だった。

 地域(自治会)で庶務を担当していた三浦さんは住民の名簿を持っていたため近隣住民の安否確認を始めた。20時頃までロウソクを片手に歩き回った。「翌朝8時から(津波の)行方不明者の捜索をしよう」と解散したがそれは叶わなかった。「福島原発で事故が発生した可能性がある」との報せが入ったのだ。

 

●「ガソリン満タンだった」自分は運が良かった

家は、福島第一原発から10.1kmの地点。避難する必要があると判断し、親戚のいる千葉県習志野市に自主避難をした後に、現住所の結城市に落ち着いた。

三浦さんは「自分は運が良かった」と繰り返した。事故発生当時、車のガソリンが満タンだったこと、たまたま放射線汚染が広がった方向とは逆方向に親戚がいたこと、2010年11月に海岸のそばから少し内陸部に引っ越していたこと、などだ。

 

●「いつどんなタイミングで自分が被災者になるかわからない」

 三浦さんに次世代に伝えたいことは何かと尋ねた。「いつどんなタイミングで自分が被災者になるかわからない。何事も詳しく知っておくことが必要だ」との返答だった。このブログを目にした皆さんには「福島第一原子力発電所事故」で検索して欲しい。私も事故の概要は知っていたが事細かには把握していなかった。

 被災者という立場になった時にどのような立ち振る舞いができるか。それは自身にある知識や経験に左右される。今回の取材・放送を通じて、日頃から有事に備えて知識を増やしておくことが大切だと感じた。(伊東)

 

次回の「次世代に伝える原発避難10年目ラジオ」は8月8日(日)11:00~12:00の放送です!お楽しみに!

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