2月24日の「次世代に伝える。原発避難15年目ラジオ」では、福島県浪江町出身で現在東北福祉大学4年の長沼朱音さんをゲストに迎え、「大学生の語り部活動」をテーマにお話を伺った。
小学1年生からの避難生活
地震発生当時、長沼さんは請戸小学校に通う小学1年生だった。海から300mの請戸小学校は高さ15m以上の津波に襲われたが、生徒・教職員が1人も亡くなることなく避難できたことで知られている。長沼さんは1年生だったのですでに下校しており、家族とともに高台に避難した。しかし翌日から原発事故により避難の日々が続く。新潟県、会津若松市、福島市へと避難生活を送ることになる。
当時の請戸小学校は1学年1クラスほどの小規模校で、互いの家族のことまで知っているような親密な関係が築かれていた。そうした環境を失い、友人と離れ離れになることへの不安や悲しみは、計り知れないものだった。
「福島の経験」を伝える人は少ない
避難の経験を語り始めたのは、大学生になってからだった。高校生までは、自身の体験を話す必要性を感じていなかったという。しかし、震災時に多くの人に支えられた経験から「今度は自分が誰かのために動きたい」と考えるようになり、ボランティア活動に関心を持った。そんな中で、大学が語り部を募集していることを知り、参加を決めた。
東北福祉大学のある宮城県も、東日本大震災で大きな被害を受けた地域である。そのため宮城での体験を語る人は多い一方、福島での経験を伝える人は少なかった。そうした中で、「自分の経験を伝えてみよう」と思ったという。
「怖い、寂しい」。リアルな感情を伝える意義と難しさ
実際に経験した人だからこそ伝えられることがある。小学1年生だった長沼さんが感じた「怖い」「寂しい」といった率直な感情は、聞き手に強いリアリティを与え、震災について考えるきっかけになる。
一方で、震災や避難を経験していない人にその実感を伝えることは容易ではない。特に現在の小中高生の中には、東日本大震災そのものをよく知らない人も多い。
語り部として活動する際には、「自分の話が震災のすべてではない」と伝えることを大切にしているという。自分以上につらい経験をした人、より大きな悲しみを抱えた人がいることにも目を向けてもらえるよう、意識して語っている。
震災を語り継ぐということ
長沼さんは卒業後、小学校教員になる。語り部として話す機会は減るが今後は教育の現場で震災の経験を伝えていきたいという。
自分の話を聞いた子どもたちが、さらに友達へと語り継いでいく―そうした広がりを期待しているという。東日本大震災を直接知る人は今後ますます減っていく。だからこそ一人ひとりが身近なところから発信していくことの重要性がある。
《編集後記》
私は地震発生当時、屋外にいた。自宅のマンションが大きくしなっていた光景を、今でも覚えている。長沼さんが小学生で経験した恐怖や悲しみを思うと、胸が締め付けられるようだった。
同年代でありながら、自らのつらい経験を語り、誰かに伝えようとする姿に強く心を動かされた。今回の放送を通して、私自身もラジオ学生としての活動により一層力を入れていきたいと感じた。
