得意がなくても、やれることあるボランティア。「学びと実践の循環」がいいね!

 私は大学で災害に関する研究や教育をしていますが、いざ災害が起きて現地に足を運ぶと、「自分に何ができるのだろう」と戸惑うことがあります。特に私は運転や農作業、力仕事が得意ではなく、「本当に役に立てるのか」と不安に思うこともあります。週末ボランティアに参加したいと思っても、出張や家族の予定が重なることもあり、行けない理由(言い訳)はいくらでも見つかってしまいます。金曜午後の授業を終えて夜に出発し、日曜の夜に帰宅するまで家を空けるため、家族と週末を過ごせない寂しさを感じることもあります。

 

「足湯」で話しする。「その場で、共に、できること」

 

 それでも現場に行ってみると、片づけや清掃といった作業だけではなく、被災された方のお話を聞いたり、生活のちょっとしたお手伝いをしたりと、さまざまな役割があることに気づかされます。特に印象的だったのが、「足湯」を通じた傾聴活動です。これは洗面器などにお湯をためて足を温めてもらいながら、手や肩のマッサージをしたり、ゆったりと会話をすることで、心のケアや交流、ニーズの聞き取りなどを目的とした支援です。被災された方が安心して話せる場をつくることで、少しでも気持ちが軽くなるようにと願いながら活動しています。ボランティアは「特別な技術を持った人」だけができるものではありません。「その場に行き、共に時間を過ごし、できることをする」こと自体が、支えになるのだと実感しています。

 

「よりそう」は、行政とは違う支援

 

 9月14、15日に行った足湯での傾聴活動では、仮設住宅が地震前の家に比べて狭く、ストレスがたまるというお話や、集会所でクラフト作りをして気分転換をしているというお話、肩こりで眠れないという悩み、お孫さんの勉強のことなど、さまざまなお話を伺いました。中には、地震直後に家屋の下敷きになり、近所の人に引き上げられて助かったものの、夫は救助が間に合わず亡くなられたという、胸が締めつけられるような体験もありました。マッサージをしながら話を聞く中で、何を質問すればいいのか、どのように返事をすればいいのか、相槌や表情はどうすればいいのかと悩むこともあります。特に初めてボランティアに参加する場合や、初めて出会う方との会話では戸惑うことも多いです。それでも、足湯の後にすっきりした表情で「ありがとう」と帰られる姿を見ると、少しほっとします。行政は道路や橋の復旧、学校や住宅の整備といった大きな支援を担っていますが、それだけでは届かない部分があります。日々の暮らしの困りごとに寄り添い、心に耳を傾けることは、ボランティアだからこそできる大切な支援です。その存在は、復興の過程で欠かすことができません。

 

授業で学生がボランティアを報告。「私もできるかも!!」

 

 私は大学の授業で被災地の様子を伝えていますが、それを聞いた学生が「自分も行ってみよう」とボランティアに参加してくれることがあります。これまでに数十名の宇都宮大学の学生が奥能登に行き、足湯をしたり、草刈りをしたり、炊き出しをしたりしました。中には、東北や栃木での被災経験を持つ学生もいれば、マレーシアや中国など海外から来た留学生もいます。彼らは宇都宮から8時間以上かけて現地へ行き、精一杯活動してくれました。そして、その学生たちが授業で写真を交えながら自分の言葉で体験を報告すると、それを聞いた別の学生が「私もできるかもしれない」と思い、また新しいボランティアにつながっていきます。こうした「学びと実践の循環」が広がっていくことを、とても心強く感じます。一緒に活動した仲間や現地の方々にとっても、その存在が励みになっているのではないかと思います。

 

「また来ると言ってもらえるとほっとする」

 

 被災地は時間の経過とともに情報や注目が薄れがちです。しかし、どこにいても関心を持ち続けることは大切です。今は情報技術が発達しており、現場にいなくてもできることはたくさんあります。それでもやはり、現地に足を運び、人の声を聞き、共に考える経験は、かけがえのない学びであり、被災者の支えになります。

  復興は長い道のりです。一人ひとりの力は小さくても、それが積み重なれば大きな希望になります。どうか多くの方に被災地へ関心を寄せていただき、可能であれば現地に足を運び、被災者に寄り添う活動に参加していただければ幸いです。別れ際に「また来ます」と声をかけると、「また来ると言ってもらえるとほっとする」と話してくださった被災者の方がいました。その言葉を胸に、これからも現地を訪れたいと思います。(飯塚明子/宇都宮大学)