6月10日のみんな崖っぷちラジオでは、「国際刑事裁判所と戦争」について宇都宮大学准教授の藤井広重先生をゲストに招いた。学生を指導する傍ら、国際刑事裁判所に勤務している。実際の話を聞けるという貴重な回であった。
国際刑事裁判所(ICC)は国際社会全体の関心事である重大な犯罪(集団殺害、人道に対する罪、戦争犯罪、侵略犯罪)を犯した個人を訴追・処罰するための常設の国際裁判所で、2002年に発足した。現在120カ国が加盟している。同じオランダ・ハーグにある国際司法裁判所(ICJ)は、戦争当事国間の争いを裁く “民事”の裁判所である。国連とは別組織だが協力関係にある。ICCの所長は日本人の赤根智子判事が務めている。より簡単なイメージとしては、国際版の刑事裁判所がICC、国際版の民事裁判所がICJだととらえるとわかりやすい。
「国際刑事裁判所」で働くことの意義と難しさ
藤井先生は国際刑事裁判所で働くことの良さは、「被害者に直接アプローチできること」という。ICCで働くきっかけもここにあった。国際法などの法律は平和な社会を作るためにあるが、法を守らせたり、法によって裁いたりしないとただの空文である。その意味で「戦争被害で困っている人の道しるべ」となる存在がICCである。「法を使って誰かの役に立ちたい」という思いも藤井先生を突き動かした。「直接成果を感じられなくとも、この組織の一員として働けることに誇りを感じる」と話す。
もちろん難しさもある。「証拠収集」である。武力紛争下では証拠はなくなってしまう可能性があり、また殺されたり、死んでしまった人から情報を得ることもできない。生き残った人から何とか情報をもらう。さらに「証人を依頼する」のも大変だ。武力紛争を起こした人(多くは権力者)は生きているため、証人をやりたがる人も少ない。コストもかかるため、証拠集めで行き詰まってしまうことも多々あるという。
国際法が根拠の国際社会―法を平和づくりの武器にする
国際社会は中央政府がないため、国際法を破っても逮捕されたり、罰せられることはない。しかし、例えばアメリカが軍隊派遣するときは国連憲章第51条の「自衛権の行使」を提示するなど、自分たちの行動の正当性を主張するために国際法が必要になる社会に変わってきた。藤井先生はICCの意義について「つい100年前までこのような秩序がなかったのに、少しずつ法律を持ち込む社会に変わった」ことを実感し、感銘を受けたという。法律が大事な道具として扱われ、認められたことが人類の大きな一歩になったと話す。「法律は誰かが何かで困ったから作られるもの」であり、私たちの武器となる。法律は一種の「眼に見える根拠」となるため、使い方を知っておくべきなのである。私たち個々人が、国際法をよく知っていなくても生きていける社会は平和とも呼べるが、国際法はより積極的に平和を作る武器となることを心にとどめておきたい。
「平和は、武力行使した側/された側、両方みないと構築できない」
武力行使は国が長く深く考えた結果、手を出したもの(実力行使)である。今世界をにぎわわせているウクライナ戦争でのロシア、パレスチナでのイスラエルもしかり、武力行使した側から見れば彼らなりの考えや見方など、違う側面も見えてくる。「平和は、武力行使した側、された側両サイドをみないと構築できない」と述べた。
ICCはあくまで中立な立場なので、どちらかに肩入れできない。しかし、犯罪が行われた地域への捜査は現地政府の協力が不可欠である。だが、現地政府が自国に不利になる情報にアクセスさせるはずがない。協力してもらえるアクターが限定される中で、果たしてそれは中立といえるのか。難しい問題である。ICCに対して不満を持つ国はこの点を特に強調して主張する。今後、ICCは様々なアクターと結びつく必要があり、その中立性を確立する姿勢が求められる。
「難しいものを難しいまま理解する力」が大切
藤井先生は、私たちに「難しいことを難しいまま理解することが必要だ」と話す。難しい問題は簡単に説明できないからこそ難しいものであり、直面する課題は深刻だが、それを考えるプロセスやあきらめない力が大事だという。また、学生に対してよく「人を見て物事を考えなさい」と指導をするという。法律は武器であるが、道具にすぎないものであり、重要なのは主体である「人」なのだ。私たちも日常生活の中で「人」のことを念頭に置いて話したり考えたりすることが大事であり、よりグローバルに考えると、今実際に世界で何が起こっているか、そしてそれを両側面から考える力を身に着けたい。(ラジオ学生菊池)
ラジオ再録》https://www.youtube.com/channel/UC7FypuAUxZEhsbCDDoqaUYg
