
5/13-15、能登でのボランティアは今回で二度目の参加でした。初回(4月)の活動は、タオルで「まけないぞう」作成とアスパラガス畑の堆肥まき。はじめてのボランティア活動だったので、作業の流れについてくのがやっとでした。
「溜め込んだらいかん、ここで泣いて吐き出して行き~」
今回の二度目の活動は「足湯」と「草刈」。私は足湯の活動でした。仮設住宅の集会場に来た方々から、この足湯ボランティアのコミュニケーションと居場所づくりの必要性を深く知る事ができました。
そこで聞いた話は、
「仮設住宅に居てもすることがないから、壊れて住めない家でも庭の草むしりに行く。手を休めて海を眺めては、早く自分のこの家で暮らしたいと、想いを募らせている」と。
「もう住めない家だが、庭先に畑を少し作り通っている」と。
初めて足湯に来訪された80歳半ばの女性は「仮設住宅で家族三人暮らし、夫は認知症を患う。一度デイサービスを利用するが、その後は拒否して狭い仮設住宅で一日を過ごす」と言う。
足湯の順番待ちの間、ハンドマッサージだけをし「この手は何をして働いた手かな~」と尋ねると、急に涙を流された。
隣席で待っていた人がすかさず「溜め込んだらいかん、ここでいっぱいじゃべって、泣いて吐き出して行き~」と助け舟をだす。
その人も「ボランティアの歌を聞いたとき、こうして応援に来てくれる人がいると、胸が熱くなり泣いてしもうたわ」と話してくれた。
家族のケアしてきた女性は、自分がされることに慣れていない。
あとで足湯をしながら手のマッサージを続けると、「若いころ、お姑さんに子供を預けて働きに出てたが、長男を5歳で亡くしてしまった。その頃を思い出してねえ。でも、こんな事して貰ったらすまないねぇ~」と遠慮する。
家族のため、誰かのために尽くしてきた女性には“自分がされる”ことに慣れてない。いつも相手を気遣っている。高齢になった今でも家族の世話をしている。
私はこの人に、一時でもやすらぎの時間を過ごして欲しい気持ちでいっぱいになった。
被災から一年以上経って、違った悩みが出てくるのだと思った。だから一人で溜め込まないよう、誰かとおしゃべりする居場所を設ける活動の意義を身をもって体験した。
マレーシア学生3人の献身的な姿に惚れ惚れ
そして今回は、マレーシアからの留学生3人と一緒に活動して、彼らの愛国心からの学ぼうとする姿に、素直さと優しさを感じた。世の中にはボランティアを偽善者だと誹謗中傷する人もいるが、他人のために一生懸命活動する姿を目の当たりにした。一緒に活動してみて「人と人のふれあいの中で、自分が学ぶことの方がいっぱいある」と思った。これは参加しなければ分からないことだった。
一日の活動を終えての夕食は、みんなで食卓を囲み、お皿を回し同じものを食べる。お酒も入りながら会話も弾むと仲間意識も深まっていくようだった。地区の住民からは、自分で獲ったイノシシ肉の味噌漬けと8種類もの野草茶を煎じて差し入れしてくれた。核家族や一人暮らしも多い中、こんな食卓はとても愉しく心癒された。
栃木から8時間遠いけど、行動するボラ仲間になっていきたい
二日目に棚田の草刈りを終えたメンバーは、やり終えた達成感なのか、皆とてもいい顔をしていたのが印象的だった。この金蔵集落は緩やかに棚田が広がり、立派なお寺が5つもあるという。でも人口減少と高齢化には抗えず、この美しい集落を守っていく人がいない。
宇都宮からここまで車移動に8時間以上かかる。それでも、この現状をボランティアで支えていこうとするとちぎボランティアネットワーク。参加してこんな仲間に出会えたことに感謝し、これからも自分にできることは微々たるでも、行動するボランティアの仲間になっていきたいと、心から思える三日だった。(あみ記)