2022年最初のゲストはとちぎボランティアネットワーク理事長の矢野正広さん。新ラジオインターン生である私(鈴木)もお世話になっている矢野さんの素敵な生き方や人生哲学に迫ります。
l 「人助け」の始まり—変な先輩編—
矢野さんの人助けは高校時代に始まる。変な先輩Aが持ちかけた福祉映画「愛のファミリー」の上映会に向け面白そうだとやってみた。しかし、思わぬ出費!会場費やら映写技師代やら合わせて10万円。変な先輩曰く「パンフレット作り、広告取って会場で配ろう!」。ということで町の肉屋、八百屋、喫茶店、時計屋、スーパー…から50万円の広告をとり黒字で一安心。でも「誰が編集するのか」と先輩に聞くと「俺たち美術部だよな。矢野、お前がやれ」という。「え、ええー」だったとのこと。
それから矢野さん、大学の時にも勝手に自主広報誌をつくって「世の中良くしていた」という。これは、Vネットでの今矢野さんの仕事にも直接つながった。Vネットの前の仕事は「NGO/NPOのための編集プロダクション」を自営していたという。先輩から学んだバイタリティは矢野さんに受けつがれ、さらにVネットを通じて「弟子」の宮坂さんにも受け継がれようとしているように思う。
l 組織って「皆が仲間であり相棒」
矢野さんは、Vネットで多くの事業の発案や団体を行ってきた。その極意は「組織は(自分のアイデアに)イエスと言う人を、まず2人寄せ集めてきて作るもの」だという。「自分のやりたいことを言い、その時に絶対イエスと言ってくれる人を仲間にする」とのこと。そして、3人集まればもう活動は可能だそう。矢野さんは「上も下もなく皆が仲間であり相棒だ」と口にする。「この人とならで何ができるか」といつも考えている。誰もが持つ「やりたいエネルギーをどう引き出す」か、いかに「その場を作るか」が重要だという。「自分はやっているふりをしているだけで、みんながやってくれているのだ」と冗談交じりに言う矢野さんだが、上下なく皆が自由に意見の言える場の提供こそが矢野さんの果たしてきた役割であり、作ってきた環境なのだと思う。
企業でも学校でも、役職が与えられ、上が下を支配する構図が社会の大半だろう。確かに組織をまとめやすい形なのかもしれない。しかしあまりにも関係性が硬直化してしまうと、働くこと自体が楽しくなくなる。ボランティアの組織とはそこが違うのだろう。
l やろうやろう!から始まった「年越しVネット」
今年、Vネットでは、大晦日から元旦にかけて「年越しVネット」が行われた。主宰は、矢野さんとYMCAの塩沢さんの2人。実家がない人、事情があって帰れない人、天涯孤独な人、天涯孤独っぽい人の年越しをお助けする企画だ。「年末行く所がない人の居場所」には6人が参加。「来年は炊き出ししよう」と盛り上がっていた。これも矢野+相棒1人のやろうやろう、でできた企画だったという。
l 「人助け」に必要な「善意の押しつけ」をかわす技
宮坂さんは、矢野さんの発言はいっけん「やりたいこと」の押し出しが強くみえるが、「その先に、助けが必要な人の存在がある」とコメントする。矢野さんは「自分は好奇心旺盛だ」と言い、思いついたら何でもやってみたいという。「自分にとっての面白さ」を満たしたうえで、かつそれが「誰かのためになる社会活動になっていればなおいい」という。
「人助け」が先行するのではなく、自分にとっての面白さを追求した先に「おまけ」として人助けが位置付けられている。「人のために」との活動は、見返りが返ってこなかったとき失望を生む。自分が良かれと思ってやった行為が相手にとっても「よい行い」だとは限らない。喜ばれることはなく、むしろ迷惑がられるかもしれない。他人に何かを与えることは、それが拒絶される可能性をはらむ。「人助け」のような「万人にとっての善」を得ると、途端に人は傲慢に承認を求めるようになる。
こうした志向性への対処法が矢野さんの語りから見えてきたように思う。「人助け」の目的は、純粋に人の役に立ちたいという思いでなくてもよい。楽しい事・やりたいことを追求した結果、気が付くと「人の役に立っていた」でもいい。むしろそのほうが理想なのかもしれない。(すずきかりん)
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