「障害者の家族の生活」へ皆が目を向ける機会を。

4月20日のゲストは佐藤英治(さとうえいじ)さん。認定非営利活動法人うりずんの総合企画ディレクターで、日々医療的ケアを必要とする子供と、その家族の向きあう助けっ人さんです。

 

●「医療的ケア児」と「家族の暮らし」の2つを支える

うりずんは主に「医療的ケア児」を日中に預かるレスパイト・サービスを行っている施設。「医療的ケア児」とは呼吸や栄養摂取、排泄などの際に医療機器やケアを必要とする子供たちのこと。「人工呼吸器などを付けて生活している子」をイメージすると分かりやすい。

こう聞くとたいてい人は「重い障害を持った人でも社会に関われる機会があるんだな」と思うだろう。それもあるが、ここは医療的ケア児が他人と関われる場であると当時に、家族がケアから離れられる「レスパイト=休憩時間」を作ることができる所。うりずんで医療的ケア児を預かるのは、その子と、家族の生活の両方を支える意味があるのだ。

 

●「医療費を稼ぐために働きたい親」とか、考えたこと、ある?

出生時体重500gでも救うことができる医療高度化の日本。医療的ケア児は国内に18,000人と、ここ10年で2倍になっているが医療的ケア児を預かる施設はほとんどない。原因は、①実際に医療的ケア行為ができる人が少ないこと、②本人の体調に大きく左右されキャンセル率が高い=出来高払いでは人件費が確保しづらく施設維持が困難、③命に関わる情報の共有の難しさ、④「医療的ケア児」の知名度の低さ、⑤制度がまだ整備されていない、などがある。新生児集中治療室(NICU)を出た子の親が行政の窓口へ行っても紹介してもらえず、ただでさえ忙しい親が自ら施設等を調べなくてはならないこともあるという。

ところで、医療的ケア児に限らず様々な障害者、その家族の施設・環境が整っていないという事実にどれほどの人が関心を持っているのだろうか。私=小浜は以前から医療的ケア児の存在は知っていたが、「家族はその子の世話で大変なのだろうな。でも毎日続けられるのは愛情が深いからなのかな」などとぬるい考えだった。しかし、実際は違う。

・医療費を稼ぐために働きたい親、

・毎日世話で疲れ切っているため休息を取りたい親、

・「ケアが必要な子」が家族の中で何事も優先となり、我慢を強いられる兄弟…などと家族愛だけではどうにもならない問題が山積みなのである。

外出も大変だ。

大きな障害児用の車いす(バギー)に乗って出かけなければならない。さらに呼吸器、酸素ボンベ、吸引器、サチュレーションモニター(体内の酸素飽和度測定器)、予備バッテリー、などを持ち運ぶ。2人がかりかもしれない。だから、少し出かけるだけでも大変で気軽に外に出られず、人々から日常で認知されにくいのだ。

医療的ケア児のいる家庭にも過ごしやすい街を作っていくためにも、私たち皆で行政に訴えることで医療的ケア児の家族が出かけやすいような町づくり・環境整備が行われて欲しい。

 

●医療的ケア児にとってかけがえのない時間・人生

医療的ケア児がうりずんへ行くことで得られる成長は多々ある。特に社会性。ほとんど家族としか接していない彼らにとって、他の利用者やスタッフと関われる経験は多くの刺激を受ける。例えば「うりずんでは自分が必ずしも第一優先で、何でもしてもらえるわけではない」とわかると、我慢したり、待てるようになる。他にも「年下の子に譲る」ことができるようになったりする。このような、障害のない子にもみられる成長がうりずんでは医療的ケア児にも見られる。様々なおもちゃがあったり、お弁当の時間には歌を歌ったり、手の形を切り貼りしたドア飾りがあったりと、一般的な保育園や幼稚園と変わらない。

医療的ケア児だから家で過ごし一生を終えるのではなく、十分な施設・制度を用意し、彼らにも公平に社会に出る環境を作るべきなのである。

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 今回私が佐藤さんの話を聞き、まずは「障害を持って生まれた人の中でも、医療的ケアというものを必要としている人がいること」、そして「その家族の生活を支えるケアも世の中に必要であること」を多くの人に知ってもらう必要があると強く感じた。社会的弱者という言葉があるが、勝手に弱者と決めつけて向き合おうとしない、または行政に任せきりにするのではなくて、私たち自ら彼らも過ごしやすい社会を作れるよう働きかけていきたい。

(小浜)