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災害対策基本法の改正を促した、変な「行政マンのボランティア」

那須水害がデビュー。「変人」どうしの出会い。

 316日の助けっ人さんは、さくら市の政策担当理事・君嶋福芳さん。市職員として勤務しながら、災害が発生すると真っ先に現地入りして災害救援のボランティアをしている人だ。

先月2月下旬、コメント矢野おじさんにゲスト候補の相談をした際に「変人を紹介するよ!」と紹介されたのが君嶋さんだった。ラジオ本番直前に取材。「変人」に身構えていたが、対面してみると凄くキッチリした人でひと安心。取材の最後に君嶋さんに「矢野さんをどう思いますか?」と聞くと「一言で言うと変人だね!」とのこと!!

 君嶋さんとVネットの出会いは1998年の「栃木・那須水害」だった。休日に災害ボラで参加していた君嶋さんは、全国で初めて組織された災害VC(那須町水害ボランティアセンター)を運営していた矢野さんを見かける。その後2004年の「新潟中越地震」で本格的にVネットでボランティアをし、災害ボランティアにはまったという。そして2011年「東日本大震災」で「変な2人」が災害発生時における個人情報保護法について画期的な運用・利用をした新たな災害救援を実行することになった。

 

個人情報保護法の壁、の突破!

 災害発生時の個人情報の取り扱いは、2006年に国が「災害時要援護者の避難支援ガイドライン」を作成し「一定の条件で災害時には情報公開してもよい」と市町村の対応指針を示した。だが、地域の実情の違いもあり「個人情報の共有を原則禁止」としている自治体がほとんどだった。共有を認める根拠がないなどの理由から、災害時に要援護者への円滑な支援ができなかった例が多くみられた。

 20113月に東日本大震災・福島原発事故が発生し、福島県から栃木県に避難してきた人が沢山いた。しばらくの間は、原発避難者は避難所にいたので支援できたが、4か月後には「みなし仮設」などに住み始め被災者がバラバラになっていく。こうなると支援の継続ができない。

 

全国で3団体のみの偉業、「戸別訪問事業」

 20117月、栃木県福祉会館で被災者交流会を実施した際に予想を大きく上回る参加者があり、君嶋さんは「ここで被災者支援をやめてはいけない」と思ったそうだ。

 そして、自身の行政マンの立場と経験を活かし、栃木県と交渉をして、みなし仮設に入居した被災者への支援を継続するために「個人情報の開示」にと動いた。

 結果、「とちぎ暮らし応援会(福島県県外避難者生活再建支援拠点)」と栃木県が協定の覚書を交わし、要援護者の個人情報開示をして、県内の全1,200世帯を個別訪問する支援を2年かけて行った。国から2,000万円で委託された職員7人を雇って実施した大事業だった。実施できたのは全国で3団体(自治体)だけの偉業だった。

 

一連の動きが法改正のモデルケースに

 201210月に日本弁護士連合会が「災害時における要援護者の個人情報提供・共有に関するガイドライン」を発表。その後20136月に「災害対策基本法」が改正されることとなる。君嶋さんが「とちぎ暮らし応援会」でやった一連の活動は、このガイドライン作成で「全国に先駆けるモデルケース」として紹介された。

 

自分も「変人」になりたい!?

 番組の最後に君嶋さんに「何故災害ボランティアをしているんですか?」と問うと、「そこに困っている人がいるから」という。

 

 それだけの理由で全国を飛び回り災害救援ボランティアができるのかと思ったが、それが「変人」たる所以なのだろうか。これまで「変人」と聞くといい印象はなかったが、今回のラジオに関わることによって誉め言葉にもなりうるのだ、そして社会を良くするには必要なのだ。自分も「変人」でありたいと強く思った。(伊東)