コロナと向き合うのは日本人だけじゃない。ハンデとともに苦しむ外国人の人たち

 6/30の放送は不定期開催の自由ゼミ! 今回は「在住外国人とコロナについて」でした。学生パーソナリティは山本&小熊、ゲストには県国際交流協会の本田エリザさん、それから宇都宮大学工学部の留学生、アイマンさんにお越しいただきました。

 

テレ授業は「文字だらけ」。日本語の読解力がなく、質問できず、超ハード

 

 まずはアイマンさんの生活の様子を聞かせてもらいました。マレーシアから来日し日本の生活は3年目。主に親からの仕送りで生活しており、アルバイトはしていないとのこと。ちなみに、マレーシアではコロナの影響が日本よりも少なく、現在(7/2時点)での感染者は8640人です。今の生活で困っていることは、大学の授業を受ける際に「日本語が理解できない」ということ。「日本語を話す・聞くことはできるけど、読むのが難しい。普段は先生が説明してくれるから理解できるけど、今は授業の資料が全部文字だけだからわかりにくい」とアイマンさん。加えて、今は課題(レポート等)も増えているので、消化に時間がかかってしまうとのことでした。確かに、私たちでも今は普段よりも課題の数が多くなっていて、解消するのに苦労しているので、ここに日本語が読めないというハンデが加わると相当ハードなものだなと感じました

 

1か月で契約満了!? コロナで浮き彫りになった労働環境

 

 続いて、本田さんにお話を伺いました。自身も日系ブラジル人で、普段は栃木県に在住している外国人の方々の相談窓口としてお仕事をする本田さん。「コロナ禍の今、どんな相談が寄せられるか」を聞いてみました。

 初めのうちは「コロナがどんな病気かわからない、体調が悪いのだがどうしたら良いか」というものが多く、次に定額給付金(いわゆる10万円)の申請について、外国人も給付対象に含まれるのか、生活保護を受給してても受けられるのか、といった内容が多かったようです。

 他にも「観光ビザで日本に来たが帰れなくなった、どうしたらいいか」「予定が変わり生活できなくなる」といった相談が持ち込まれています。

 そうした中で今、増えているのが「仕事を解雇され、生活に困っている」といった相談。実はもともと、企業の外国人労働者との契約期間が短縮化されており、少し前は1年だったのが3か月、そして今はなんと1か月と非常に短くなっており、コロナによるリストラで真っ先に切られてしまうのもこういった方々なのだそうです。中には、解職で社員寮を追い出され、一時期路上生活をしていた人もいたそうで、その人には相談を受けて市営住宅を提供したそうです。「今回のコロナに伴う影響によって、かねてより存在していた問題が浮き彫りになった」と語る本田さん。想像以上に悪い立場に置かれている外国人の方々のことを知り、驚きが隠せません。

 

約束の時間に30分遅れても平気!? 文化の違いが生み出した悲劇  

 本田さんの所(県国際交流協会)に相談をする人の多くはブラジルやフィリピンの人。日本に一番多くいる中国人からではないのか、と気になった方がいるかもしれません。ここには大きく2つの理由があります。1つは、日本の関連ウェブサイトには漢字が多用されているので、中国人は内容をだいたい把握できますが、ブラジルやフィリピンの人は読むことができないこと。そして2つめには、国の文化や国民性にあります。中国の人は日本人と同じで自分の悩みをあまり人に打ち明けません。一方で、南米の人はこまめに相談をする機会があるということでした。  さらに文化については日本と大きく異なっており、実はこれが外国人労働者が切られやすい理由の1つになっていると言います。中でも大きいのが時間感覚の違い。日本では時間感覚に厳しく、少しでも遅れることはもってのほかという考えが浸透しています。「5分前行動」という言葉が端的にそれを表していますね。ところがブラジルでは時間に遅れることは普通の感覚なんだそうです。「10時に集合」といって、10時15分に行ってもなんともない、そんな感じだそうです。加えて、会社などで「上司に向かって呼び捨てにする」というものもあるようです。日本でやったら一発アウトなものですよね。

 ところが、日本に来る人にはそうした日本の仕事場での文化が伝えられておらず、そのまま日本に来て仕事をしてくださいという流れになっているので、当事者の人も自分がどうして怒られるのかわからずにいる。企業側も、ブラジルのそうした文化のことは全くわからないからその人が時間にルーズだと叱責する。それが続いて解雇されてしまうというケースが多いそうです。  日本と他国の文化の違い、それらがお互いの国で伝わっていないことから外国人労働者の不当な扱いがなかなか改善されないのか?、グローバル化を目指すならこういった知識こそ触れるべきなのではないかと感じました。(やまもと)