7/12は宇都宮空襲。繰り返したくない戦争を語り継ぐ活動

 6月25日のラジオ、ゲストはとちぎの空襲と戦災を語り継ぐ会代表の大野幹夫さんでした。大野さんは1945年7月12日に宇都宮が受けた空襲を体験したひとり。今は栃木県内の空襲や戦争についてのお話を語り継ぐ活動をしています。

 

紙芝居を使った語り継ぎ

 大野さんは1932年生まれの87歳。1931年に満州事変があり終戦時13歳と考えると、本当に戦争の時代に子ども時代を生きていたことがわかります。大野さんは「戦争以外に何もなかった」、「戦争そのものが当たり前だった」と言います。そのように言う大野さんですが、やはり後になって考えてみると「もう2度と戦争は繰り返したくない」と言います。この語り継ぐ活動を始めたのは定年後だそうです。きっかけは戦争を体験していないのに一生懸命戦争を語り継いでいこうとする人を見たこと。自分も語らなければいけないと感じた大野さん。それで少し語ったらまた次のオファーが入ってきたそうです。語り継ぎ活動は20年にもなります。

 語り継ぎ活動は紙芝居も使っています。小学校での話の後には質問を書いてもらい、全てに回答します。非常に素朴な、でも重要な質問が寄せられるらしく、例えば「焼夷弾が落ちてきます。上を向いて逃げるのですか?下を向いて逃げるのですか?」というものがあるそうです。紙芝居というと子どもが対象のイメージですが、市民団体を始めとした大人にも語り継ぎ活動をしているそうです。

 

鳩の空襲体験が本になった。『少年と鳩』

 また、大野さんが語った体験が本にもなっています。「少年と鳩」という本なのですがなんと「鳩の空襲体験」が語られているそうです。どうして鳩の空襲体験なのか。空襲以前、鳩と仲が良かった大野さん(手の上に乗っけてたそうです)。空襲後、いなくなった鳩が少しずつ戻ってきたそうですが、その鳩も人々に食べられいなくなってしまいます。鳩が食べられることもなくなり鳩がまた戻ってきますが、その鳩は手のひらに決して乗らなくなったそうです。このことから、「鳩は短い一生のなかで自分の戦争体験を語り継いでるのだ。人々は忘れてしまうけれど。」と感じたといいます。このことを語ったら聞いた人の印象に残ったらしく、本にもなったとのこと。

 

戦争は「加害者として」「被害者として」両側面から向き合う

 私たちは空襲や戦争というと太平洋戦争のみを思い浮かべがちかもしれません。しかし、大野さんは語り継ぎの際にはもっと遡って話し始めるそうです。これは、戦争はある局面だけ切り取ると被害的な側面しか受け取られないない、もしくは、加害的な側面しか受け取られなかったりと偏ってしまうから、と言います。例えば日本が受けた空襲のことだけを話すと被害を受けたことにしか焦点が向きません。戦争について知る時は、被害的側面も加害的側面とも向き合わなければいけないと大野さんは言います。

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感想:打ち合わせの時に「命の尊厳を最も乱すのが戦争である」と話していました。これからを担う人が戦争についてどのように考えるのかが、世界(宇宙の)平和を創るのに重要です。しかし、私たちは戦争について無知です。そのためには語り継ぎのお話を聞くことが、戦争を知り考えるたまの第一歩かもしれません。(わたしはどこか危機感を感じています。:こばやし めい)