これまでの放送内容


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ラジオのブログ


沖縄で進む「軍事化」の危ない現実をラジオで放送。YouTube再録①②

 毎週火曜19時~のみんな崖っぷちラジオでは、毎月第2火曜に「NGO・市民に聞く戦争と平和ラジオ」を放送してます。1月、2月、3月は沖縄の作られる戦争・辺野古〝新〟基地問題」として日本政府・米軍の憲法無視、民意無視と、国内マスコミが書かない問題を取り上げてます。2月は「土地規制法と自衛隊米軍基地の拡大」の問題として戦前の治安維持法と同じような言論・行動の自由を取り締まる法律ができて、運用されつつある沖縄と、敵基地を攻撃できる長射程ミサイル配備が行われいる今を伝えています。3月は若者含む1万人が「殺しあうのではなく、愛しなさい」と、1万人県民集会を実施し、中国・台湾とも対話する「沖縄対話プロジェクト」の話をしてまことしやかに言われる台湾有事問題について話します。(公開準備中)

 来月4/9は「ガザ・パレスチナと日本のNGO」として、虐殺と餓死で50万人以上のの命が亡くなる瀬戸際にある状況危ない状況を放送します。youtube聞いてください

ミヤラジ・火曜19:00~「アプリで聞けます」

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本日3/12の「NGO・市民に聞く戦争と平和ラジオ」・沖縄ラジオ③谷山さん

 本日、3/12のみんながけっぷちラジオは、「NPO・市民に聞く戦争と平和ラジオ」。

ゲストは沖縄からZoomでつなぎ、谷山博史さんにお話を聞きます。

今まで2回にわたって谷山さんに出演していただき、3回目となる今回は台湾有事やそれに対する市民の取り組みについてお聞きします。ぜひお聞きください!

(ラジオ学生 立花)

仮放免者の「声にならない声」に向き合う

2月6日のみんながけっぷちラジオでは、NPO法人北関東医療相談会・AMIGOS理事長の長澤正隆(ながさわ・まさたか)さんをゲストに迎えた。北関東医療相談会は、国内にいる「認定されない難民生活者」に光をあて、「すべての人が健康で平和な生活ができる共生社会の実現」を目指すボランティア団体である。生活困窮している外国籍住民の検診、検診結果の説明、要治療者のフォロー等を実施している。今回は、NPOの活動内容やそこから見えてきた日本社会の現状や課題を探った。

 

移居ダメ、働いてはダメ、健康保険なしの「仮放免者」

仮放免者とは、在留を認められず強制退去をしなければいけない外国籍の人たちだ。本来は入国管理施設に収容されるが、「条件付き」で身柄を解放されれば仮放免者となる。解放とはいうものの、住所変えてはいけない、働いてはいけない、健康保険に入れない。保険証があれば3割負担だが、ないので全額負担だ。また、在留許可でないため就労が認められていない。家賃や食費などの生活費を稼げないだけでなく、病気になっても病院にかかることのハードルが非常に高いのが現状だ。

 

医療費、生活費、交通費、食料すべて寄付。4年で6000万円

 北関東医療相談会の前身は、1997年に群馬県で発足した「外国人の為の医療相談会」である。相談会には栃木県など関東一円の外国人が多く参加したそうで、ニーズに応えようと活動範囲を広げた。相談会に来る人の約90%が仮放免者だ。健康診断だけでなく、食糧配布や交通費の支給、家賃等生活費支援をする。2020年から4年間の支援額は6000万円以上にのぼる。そのほとんどが寄付で支えられている。公的サービスにアクセスできない仮放免者の頼りの綱となっている。

 

「声にならない声」を代弁する

 

 今の日本社会では、仮放免者を含む「すべての人が健康で平和な生活を送ることができている」とは言い難い。仮放免者が現状を訴えたくても言葉の壁があり、声を上げること自体が難しい。長澤さんは、「声にならない声を代わりに出していく」必要があると話した。問題が可視化されていないだけで、ここ栃木にも社会的に脆弱な立場の人々が多くいる。私たちは彼らの状況に目を向け、誰もが暮らしやすい環境づくりに関わっていく責任があるのではないだろうか。(ラジオ学生とま)

第三の居場所が叶える子どもたちの「やりたい」

 1月30日のラジオでは那須塩原市にある一般社団法人Apple Base(アップルベース)の原田幸希(はらだ・さき)さんをゲストに迎えた。Apple Baseは家でも学校でもない、また塾や学童とも異なる「子どもの第三の居場所」である。子どもたちの「やりたい」に常に耳を傾け、子どもたちはその「やりたい」を実現することに力を注いでいる。

 原田さんは、リハビリ職である作業療法士として病院に勤務していた。が、子どもの発達障害への興味や、大学生の頃のつながりからApple Baseの立ち上げにかかわり、現在に至った。原田さんに具体的な活動やエピソードをお話していただいた。

 

利用条件なし。誰でも来れる

 Apple Baseは、放課後に子どもたちが来るが、利用条件を定めていない、誰でも利用可能な場所になっている。そのため、学校や学年が異なる様々な子どもの交流のきっかけともなる。また、子どもたちが安心して過ごせるような空間づくりや、非認知能力の育成も目的。だから時間割やスケジュールをあえて設けず、自分自身で、自分が何をして過ごすのか決めてもらうという。つい大人が子どもに手を出してしまうことも多い。自分で決めるので、自分で考え、選び、行動することができる能力、生き抜く力が身につくという。実際に子どもたちは、スタッフや友達と話したり、工作や調理活動をしたりと様々なことを楽しんでいるそうだ。

 

全部自分たちで計画・準備・運営

 子どもたちが自分たちの「やりたい」を追求できる環境の中で、子どもたちのやりたいことに対する熱意や生き抜く力が現れていたと感じたのは、宿泊学習の話だった。宿泊学習も、企画や準備などすべて子どもたち自身で行うという。子どもたちだけで「どのように宿泊学習を行ったら良いか」と話し合い、企画書・パワーポイントのスライドをスタッフに持っていき、プレゼンをする。意見やアドバイスをもらい、調理活動などの準備も踏まえた上で、試行錯誤の末に進めるという。この話を聞いて、宿泊学習は子どもたちの「やりたい力」の育成に大きな影響を与えると感じた。子どもたち自身で創意工夫して自主性を育むことができる活動は、家でも学校でもない、「第三の居場所」だからこそできるのだなと思った。

 

「子どもたちに耳を傾けること」が関わりを築く

 原田さんに、子どもと関わる上で大切にすべきことを聞いた。

 「とにかく、子どもたちの声に耳を傾けること」とシンプルな答え。意思疎通は、否定せずに耳を傾けることで、子どもが大人と相談できる関係性を築くことができる。子どもの考えや感情を知れるだけではなく、子どもが話すことで抱えていたものを少しでも解消することができる。また、声を聞き続けることで、子どもが大人のしてほしいことを受け入れてくれるようにもなるという。

 開設されてからまだ若く、勢いのあるApple Baseの活動は非常に興味深いものであり、改めて子どもたちにとっての「第三の居場所」の必要性を感じることができる話だった。 (立花)

秘密基地ずきの子どもの居場所は、路地とおにいさん

今回は、宇都宮市峰地区で〝宮っ子の居場所〟を運営する、工藤光一郎さんに話を聞いた。工藤さんは大学で建築を専攻する傍ら、休日にはこどもたちの居場所づくりに励んでいる。

 

学童のスキマをついた強み

「子供たちの居場所」と聞いて多くの人が連想するのは学童のような場所だろうか。「みねっこと大学生のひみつきち」はそういった場所とは一味違う。

 

工藤さんは、「ひみつきちが開かれるのは平日ではなく日曜日。さらに地域の大人だけでなく年齢の近い大学生と交流できる。あえて学童が休みの日曜日に開いていることや縁遠い大学生と遊んだり話したりできることがここの強み」だと語った。

 

シャイでも行ける、ひみつきち

「一人でもふらっと訪れやすい」というコンセプトがある。空き家を改築したこの場所は、少し周囲から分かりにくい。一見すると不利に思われるこの環境について「僕が子供だった時のことを考えると、恥ずかしくて、開いた場所に遊びに行くのに抵抗があったんです。だから、そういった子にも気にせず来てもらえるような空間を作りました。」という。

子どもの心は繊細だ。そういう機微をとらえた子どもに近い大人の発想だと思った。

 

 

これからの「ひみつきち」は子供だけじゃない!

 

みねっこと大学生のひみつきちの今後について、工藤さんは「子供たち以外の世代にも来てほしい」という。もともと地域住民の居場所が目的だったこの場所に、高齢者にも来てもらえる工夫をするつもりだという。企画しているのが「スマホ教室」。大学生がスマホの使い方を教える。こどもたちでなく世代を問わず集まれる場所を目指している。

役場職員には家族を亡くした方も… それでも仕事した公務員の超超激務! 「宙ぶらりんな避難」と法律の未整備

・10日後に戻ると、避難できない高齢者が家の中で亡くなっていた…

 当時双葉町の役場職員だった今泉さん。公務員は災害時でも町民の安全を守る仕事がある。非難の声かけや情報の提供、食事の提供を行ったという。また、1000人もの町民の安否確認を一人一人行った。さらに、「避難所の移動」に伴う避難計画、輸送計画、部屋割りなど決めることがたくさんあり、ゆっくり寝られる日はほとんどなかった。

 避難して10日後に、仕事で双葉町に戻った。少ない情報をもとに、残された高齢者を避難させる。しかし、冬だったこともあり、「家で亡くなっている人もいた」という。

 やはり「避難に援助を必要とする人」を救うには日ごろから地域のつながりを強めて、逃げ遅れている人に声をかけ、協力し合う「コミュニティ力」が大切だろう。原発避難はそういうことすらできなかった。

 今泉さんの知り合いは、「10日間雑草を食べて何とか生き延びた」という。

 

・地震、津波、原発。「3つの避難」の対応という公務=激務

 双葉町は最初に地震による建物の崩壊から逃げ、さらに津波から逃げ、それから原発事故による放射線から逃げと3つの避難が同時に押し寄せた。当時は相当大変な状況であったことが目に見えてわかる。

 そんな中でも公務員は町民を守るという使命から仕事をしなくてはならず、職員の中には家族を亡くし、つらい思いで仕事をしていた人もいたという。今泉さんも1か月間家族と会えず、連絡も取れず、安否のわからない状況で仕事をしていた。情報が入らないなか、町民からは判断を迫られ、夜まで寝られない状況が続いた。「判断する立場の人は、重い責任がのしかかるから相当大変だっただろう」と今泉さんは語った。

 

・12年経った今も避難状態。「宙ぶらりん」な政治参加・社会参加

 今泉さんは今埼玉県上尾市に住んでいるが、住民票は双葉町のまま12年が経とうとしている。「(町の)情報が入ってこないのが一番不安だ」と今泉さん。

 また、住民票の問題で「政治参加・社会参加については宙ぶらりんな状況」にある。住んでない町の選挙は少ない情報で候補者に投票し、今住んでいる町の選挙はもちろん、決め事にも参加できないのである。本来平等にあるべき参政権。この状況は平等と言えるのだろうか。

 「同じように原発事故があったチェルノブイリでは明確に、逃げる権利があるとし、逃げた人全員に補償をしている。逃げない権利も認めている。しかし、日本はそこをあいまいにしている」と海外と日本の対応の違いを語る矢野さん。

 今泉さんも「日本は自治会を抱えているため、広範囲の避難はパニックを起こす。自治会が大きな動きをできなくさせているのではないか」と自治会制度の問題点を語った。もちろん海外と日本では制度が違うこともあり、難しいこともあるかもしれないが、チェルノブイリのような対応は積極的に取り入れていくべきだと思う。

(加藤)

不安な時のボランティア、役に立つボランティア、すれ違いボランティア。でも、「ボランティアで助かった」

・避難所の夜に民謡大会 「笑い声。みんなの顔つきが全然違った」

 地震が起きたとき帰れず、働いていたデイサービスセンターに泊まった。それからは利用者や職員と一緒に避難所を転々としていた北村さん。社会福祉協議会の職員だった。

 当日は、何が起こっているのかわからなかった。でもそんな「説明できないこと」について話していても仕方ないし、「夜には寂しくなるだろう」からと、震災の日、泊まるデイサービスセンターで「民謡大会」を行ったという。

 やはり初めての避難場所での泊まりは落ち着くことができず、眠れない人も多かった。民謡大会は楽しく開催でき、時々笑い声も聞こえ、みんなの顔つきが全然違った。「このような非常事態にそういうことをしてよいのか不安もあったが、自分も落ち着くことができた」という。

 北村さんは「今の状況を説明できず、何をしたら落ち着くことができるのかと考えた時に目線を下げて寄り添うのが大事だ」と語った。

 避難所の「さいたまアリーナ」ではボランティアや専門の人が避難者の倍くらい来てくれたから任せて、「自分たちは自分たちにできることをした」という。一人一人平等に話を聞くようにし、食事や排泄の介助を行った。

 アリーナでの夜は、小さい子供がいる職員は家族優先で帰宅する。だから10人の介護士で50人以上もの高齢者の介護を行ったという。避難所には要介護の人も一緒なため24時間付きっきりで1か月間そのような生活をすることになる。想像するだけでも大変な生活だっただろう。加えて一人一人に話を聞く。このような北村さんたちの働きが避難者を少しでも安心させたのではないかと思う。

 

・「避難者は日常を求めている」

 避難所には「避難者よりも多くのボランティアが来てありがたかった」と感謝する北村さん。「ボランティアには避難の状況を知ってほしい、見てくれるだけでよい。それだけでも意味があるのではないか」と語った。一番多かったのは「歌を歌いに来るボランティア」だった。しかし、中には要望していない歌もあった。それが「ふるさと」だ。そこには家族を亡くした人や家が流されてしまった人もいて、その歌を歌われたのは相当つらかったという。嫌がっている人もいた。

 このように、良かれと思ってボランティアしに行ったのが、逆に傷つけてしまうこともある。また炊き出しでも、カレーや焼きそばばかりで毎日食べるわけにはいかない。だから団体が集まって話し合い、毎日違うものが食べられるように調整したところもあったそうだ。矢野さんは「最初に行くボランティアと、1か月後2か月後に行くボランティアは全く内容が異なるし、支援者がいる避難所と、いない避難所でもボランティアの在り方は違ってくる。また昼行くのと夜行くのでも全く異なる」と。ボランティアと一言でいっても、内容やありかたは広範囲に多岐にわたっている。

 また「避難者は日常を求めている」と語る北村さん。特別なことではなく、折り紙や読書、洗濯、化粧など日常に戻れる一コマを感じさせるものもよいのではないかと思った。

(加藤)

 

2/6ラジオ ゲストは北関東医療相談会の長澤正隆さん

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1/30のラジオ ゲスト:一般社団法人Apple Baseより原田幸希(はらだ さき)さん

本日のみんながけっぷちラジオ、ゲストは

那須塩原市にある一般社団法人Apple Baseから、原田幸希(はらださき)さんです。

 

2023年4月に開所したApple Baseは、子どもが自由に過ごせる、やりたいことが出来る子どもの居場所です。

 

そんなApple Baseを立ち上げるまでに、

原田さんはどのようなキャリアを経たのか、またどのような思いや熱意で立ち上げたのかなど、沢山深堀りしていきます!

ぜひお聞きください!

(ラジオ学生 立花)

「作られる戦争」。米軍基地・米兵による被害。「軍隊は住民を助けない」沖縄戦の教訓。

 1月9日の「NPO・市民に聞く戦争と平和ラジオ」では、沖縄から谷山博史(たにやまひろし)さんをゲストに迎えた。谷山さんはNGO「日本国際ボランティアセンター(JVC)」スタッフとしてアフガニスタンやタイ・カンボジアで活動してきた。現在は沖縄の基地問題や台湾有事のシンポジウムを開いている。今回は自身のNGOでの経験や基地問題の歴史と現状をお聞きした。

 

「つくられる戦争」情報操作もアメリカのやり方

 谷山さんがJVCの活動でアフガニスタンを訪れた時は、まさにアメリカの「対テロ戦争」の時代だったという。現地で人道支援をするが「アフガニスタン人スタッフは、家族や親戚の誰かを米軍に殺されていた」という。大国が戦争を正当化し軍事力を行使する状況を目の当たりにした。「正しい戦争、仕方のない結果だ」と報道されるのも、意図的な情報操作であることも多いという。

それを谷山さんは「つくられる戦争」という。悪いイメージを持たれている国(中国、北朝鮮…)でも実は日米、日韓の軍事演習などが事前にあり、挑発されたり脅されたりしている場合もあるし、情報が切り取られている(隠されている)可能性もあるという。「対話」を避けて戦争に走っている状況で「仕方ない」という文言で片づけることは許されない。

 

殺人・暴行・発がん性物質汚染、墜落事故、土地収用…米軍基地の被害

 沖縄の歴史と差別についても語ってくれた。独立国だった琉球王国は薩摩藩の過酷な支配のあと1879年に日本に併合された。その後も沖縄人への差別が続く。特に本土の「捨て石」にされた沖縄戦は残酷な歴史として知られている。県民の4人に1人が亡くなった地上戦では、集団自決などで多くの市民が犠牲になったという。だから「軍隊は住民を守らない」が県民の教訓となった。

戦後も1972年に本土復帰するまで米軍の統治下におかれ、今も日本全体の70%の米軍基地が沖縄にある。復帰後にも「土地の強制収用」などの無法行為があり、日常でも米軍兵士による暴行、殺人、基地からの発ガン物質汚染、墜落事故…がある。県民の反感があるにもかかわらず、その意志を政府は無視している。

 

基地反対が沖縄の民意 無視して辺野古移設を強行する国

 27年前、沖縄米兵少女暴行事件で起きた空前の6万人の県民デモ。その声に応えて普天間基地を返還することに合意したかに見えた日米政府だったが、それは名ばかりで、実際には新しい基地創設を切り出した。それが辺野古基地である。先月には、基地の海面埋め立て工事を許可しない沖縄県に代わり工事を承認する「代執行」の訴訟で国の主張が認められた。国が県を訴えるという前代未聞の事態である。米軍基地問題はまさに今も続いている問題なのである。

 

見えてきたマスコミによる情報格差(情報隠し)

谷山さんや市民が参加する基地建設阻止デモや代執行の申立は、本土でどのくらい報道されているのだろうか。見えてきたのは、マスコミによる構造的な情報格差(情報隠し)だった。問題だらけの基地問題だからこそ、避けずに関心を持つ必要がある。現に沖縄県民の声は、デモや沖縄県内の報道などを通して十分形に表れているはずだ。

 

私は昨年沖縄を訪れ、その自然や人々の美しさに感動した。その沖縄で昔から今まで起きていることは決して他人ごとではなく、沖縄のニュースにさらに目を向けていこうと改めて思った。(ラジオ学生とま)

1/9 ラジオは「NGO・市民に聞く戦争と平和ラジオ」・沖縄ラジオ①谷山さん

いよいよ明日!2024年最初のゲストは、沖縄から谷山博史さんとつないでお話しを聞きます。NGOでアフガニスタンやカンボジアの紛争地域での活動経験や沖縄の基地問題の歴史・現状について聞き、平和構築について考えるラジオです。これから3カ月、第2火曜日は谷山さんの「NGO・市民に聞く戦争と平和ラジオ」で、明日はその第1回目です。(ラジオ学生とま)

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1/9 ラジオは「NGO・市民に聞く戦争と平和ラジオ」・沖縄ラジオ①谷山さん

2024年最初のゲストは、沖縄から谷山博史さんとつなげてお話しを聞きます。NGOでアフガニスタンやカンボジアの紛争地域での活動経験や沖縄の基地問題の歴史・現状について聞き、平和のつくり方について考えるラジオです。これから3カ月、第2火曜日は谷山さんの「NGO・市民に聞く戦争と平和ラジオ」です。(ラジオ学生とま)

〝生き物遊び〟を子どもたちとやりたい。サケ産卵見たり、カワゲラ食べたり、急坂走ったり‼

「五感で楽しむ自然体験の機会を子供たちに持ってもらいたい。」

ゲストはサシバの里自然学校・校長の遠藤隼さんだ。里山の豊かな自然をフィールドにして、子どもたちと自然体験活動を行っている。

「サシバ」はタカの仲間で、里山の生態系の頂点にいる里山の象徴的な生き物である。このサシバが舞う豊かな里山では、たくさんの生き物や人との出会いがある。その中で、子どもたちの中に新たな価値観、生き物や自然に対しての愛情がはぐくまれる。

 

少し前にはできた〝生き物遊び〟ができない現代

遠藤さんは小さいころから自然に親しみ、生き物が好きだった。宇都宮郊外の赤川ダムや田川でよく魚釣りをしていたという。大学生になり、サークルで子どもたちに対して自然体験を行った。「自分が楽しいものを子供たちと一緒に共有することに喜びを感じ、これを仕事にできたらいいなと感じた」という。この経験が自然学校の源流となった。

今回、ラジオに先立って私が参加したサシバの里の活動は「生き物塾」。

「生き物と関わる。釣り、虫取りとか。これを〝生き物遊び〟と呼んでいます。ちょっと前までは普通にどこでもできた。でも最近はそういう場所も減っている。そういう遊びを子どもたちと一緒にするのがテーマ」と遠藤さん。

 

塾でやった「サケ遡上見物」+「カワゲラを食べる」+「山ランニング」

 さて、今回の塾は「サケの遡上を見よう」だった。「栃木県でもサケが見られるのか」と期待して見に行ったのは、那珂川の中流域。サケが産卵するスポットがあり、そこを中心に川のあちこちを見て回ったが、どこにもサケはいなかった。ここ数年サケが上ってこないらしく、主な原因として海水温の上昇があるという。地球温暖化の影響を身近に感じた。

 サケの遡上は見られなかったが、寒い水の中でたくましく生きる生き物たちを見ることができた。カワゲラ、トビゲラの幼虫などの水生昆虫、カエルも見られた。そしてこの「水生昆虫を食べる」というのも今回の一大イベントであった。素揚げを食べたが、エビのようで、おつまみにもいいと感じた。

 

「鎌倉山ランニング」上ってきて良かった!

今回の生き物塾。実は、子どもたちの印象に一番残っていそうなのは鎌倉山でのランニングだろう。茂木町にある標高216mの山で、那珂川の断崖にある展望台から見る眺望はとても美しく、観光スポットにもなっている。サケの遡上・生き物塾と、鎌倉山ランニングは毎年の恒例行事になっている。楽しみに来ている子どもたちもいて、頂上への道は想像以上に長く、さながらサケの遡上を体験しているようだった。へとへとで上った展望台から見る那珂川は雄大で、登ってきてよかったなと思った。(えのき)

10/31 ラジオ学生ってどんな人?第二弾

10/31のみんながけっぷちラジオは特別版!

 

8/29日に放送したラジオ学生ってどんな人?の第二弾です!

これまでゲストさんについて紹介していましたが、そいうえば一緒にいるラジオ学生ってどんな人だったのか…?

い言うことで今回はラジオ学生の加藤さん、吉田さん、森田の3人のことを深掘りしていきます。

 

・ラジオ以外で普段は何をしてる?

・ラジオ学生になったきっかけは?

・ラジオ学生になってみてどう?

などなどたくさん聞いていきます!どうぞお楽しみに!!

 

質問してみたい方はどんどんこちらまで!!!

(773@miyaradi.com)

 

リスナーの皆さんのご意見・ご感想をお待ちしております!

 

ミヤラジ(77.3FM)にて毎週火曜19:0020:00オンエア!

 

FMプラプラのアプリやブラウザからも聞けます

https://fmplapla.com/

 

(森田)

10/24 避難は弱者が一番困る ゲスト:三浦秀一さん

今日は次世代に伝える。原発避難12年目ラジオです。ゲストは三浦秀一さんです。福島県南相馬市から栃木県に避難してきました。

 

原子力発電所がまさか爆発するなんて思ってもいなかった三浦さん。爆発したときはとても驚いたという。「原子力は麻薬」という言葉があるらしい。原発の維持費はものすごくかかるのに国からお金がもらえて町が潤っていくため、原子力から離れようにも離れられないのだという。また、原子力発電所は簡単に壊すことができないのだ。中に入っている放射能をそのままにしておくわけにはいかないからだ。使わなくなって、お金を生み出さなくなった発電所でも管理するためお金と人が必要なのである。

視覚障害者の母と暮らしていた三浦さん。目が見えずトイレの場所がわからず、とても大変だったそうだ。避難所は健常者が来ることしか想定されていないため、障害を持つ方が置いてかれてしまうのだ。避難所では寝たきりの人ばかりの部屋があり、世話する人がいないため、においがしてきてとても環境が悪かったという。避難所で障害を持つ人が過ごすのは困難だと判断した三浦さんは避難所からすぐ出たという。

 

今回は原発事故前と事故後の原発に対する考え方の変化や弱者のための避難について話していきたいと思います。

 

ぜひお聞きください!!

 

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(773@miyaradi.com)

 

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(加藤

10/17 生徒の持ち味を見つける学校 ゲスト:日々輝学園高等学校宇都宮校 校長 飯島さん

 2023/10/17(火)放送のみんながけっぷちラジオでは日々輝学園宇都宮キャンパス長の飯島さんをゲストに迎えます。

 

日々輝学園は通信制高校で、一人ひとりの「よさ」を伸ばし、未来への力を拓くことを教育方針とした学校です。

生徒の6割は中学までに不登校経験があるとのこと。

そんな生徒たちに対してさまざまな面から良さを伸ばせるようなサポートがされています。

学習面では学び直しから着実に学習を進められるカリキュラム。心のサポートとしては学校にカウンセラーが常駐し、個別面談も随時行われています。

また、さまざまな行事や部活動、多彩なキャリア教育や体験学習も用意されているとのこと。

 

詳しくはラジオにて!どうぞお楽しみに!

 

質問してみたい方はどんどんこちらまで!!!

(773@miyaradi.com)

 

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(森田)

 

2024ラジオ学生インターン募集!対面&オンライン説明会開催!

突然ですが皆さん。

“みんながけっぷちラジオ”ラジオ学生インターンをやりませんか?

 

ラジオ学生の鈴木です。

「ラジオ学生」とは、身近にひそむ地域の「がけっぷち(課題)」やそれを救うために奔走する「助けっとさん」の活動を伝える1年間の"メディアづくり"インターン。

 

現在は大学生5人がインタビュアー、ラジオ出演、記事作成などで活躍中。私たちの記事はこちらから見れます。

 https://www.tochigivnet.com/repo/

 

一つでも当てはまったあなたは、

ラジオ学生にぜひ来てほしい👇

 

•社会の現実を、世の中のたくさんの人に伝えたい人

•メディアづくりが好きな人(ラジオ、動画、文章)

•社会課題、NPO、ボランティアに関心がある人

•好奇心旺盛な人!! 

 

ラジオ学生を経験して、今まで知らなかった新しい自分や地域の見方を身につけましょう。

多くの人に説明会に参加してもらうために、10月に対面・オンラインの説明会を開催します。

気になった方はお気軽にご参加ください!

お会いできることを楽しみにしています。

 

日時と場所:

@宇都宮大学峰キャンパス(詳しい場所は後日メールでお伝えします)

①10月17日(火) 12時30分~13時

②10月20日(金) 18時~18時30分

③10月24日(火) 12時30分~13時

④10月27日(金) 18時~18時30分

 

@宇都宮大学陽東キャンパス(詳しい場所は後日メールでお伝えします) 

①10月30日(月)  18時~18時30分

②11月2日(木)  18時~18時30分

③11月6日(月)  18時~18時30分

④11月9日(木) 18時~18時30分

 

 

@とちぎボランティアネットワーク事務所(宇都宮市塙田2-5-1共生ビル3F)

①10月18日(水) 18時30分~19時

②10月25日(水) 18時30分~19時

 

@オンライン・zoom(参加リンクは後日メールでお伝えします)

①10月18日(水) 19時〜19時30分

②10月20日(金) 19時〜19時30分

③10月22日(日) 19時〜19時30分

④10月26日(木) 19時〜19時30分

 

 

対象  :栃木県内の大学生、専門学生、社会人(19歳以上)

申込締切:希望する説明会の1週間前まで

※〆切を過ぎても参加ご相談は受け付け予定。柔軟に対応可能です!

 

↓↓お申し込みはこちらから↓↓

 

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目の前の人が抱える困難と想いを伝えたい NPO法人Dialogue for People・事業部 田中えりさん

 5月9日のみんながけっぷちラジオでは、NPO法人Dialogue for People(以下:D4P)事業部の田中えりさんをゲストに迎えた。D4Pは、社会課題の問題や困難に直面する人々の生きる姿を文章や写真、映像などのさまざまな表現方法で伝える独立系メディアだ。田中さんは、事業部としてSNS運用やイベントの運営などに携わっている。

 

 

大衆ウケの記事に違和感。「人のありのまま」を伝えたい

 田中さんは元、下野新聞の記者。転職はメディアとしての伝え方の理想が新聞とは違った体。新聞では多くの人が共感するトピックを扱う。“栃木県出身の人“や“震災被害に遭った人“など「〇〇な属性の人の意見」が主語として扱われ、その人が本当に伝えたいことが伝わらないことがある。D4Pは、NPOとして広告でなく寄付で成り立つ独立系メディアとして、大衆に向けた新聞では扱われない「一個人の意見」発信している。以前からD4Pの活動に注目していた田中さん。記者の求人募集をきっかけに転職。

 

取材は「共通点を探すこと」がポイント

 取材で心がけていることを聞くと、「共通点を探すこと」と田中さん。意識するようになったのはアメリカへ留学したことから。「アメリカは日本とは違っていろんな人種や文化が共存している国。違う人ばかりだからこそ、アジア人を見つけるとすごく安心した」とのこと。それを聞いてハッとした。私(森田)は事前取材する時に、「何かを成したすごい人」と身構えてしまう。でも、「すごい人」とフィルターをかけると、自分と異なっているところばかりを探そうとしてしまう。世の中には年齢や職業、性格、趣味など違うものを持つ人で溢れているからこそ、「違い」とともに「共通点」や「自分とつながる視点」を探すことが重要だと感じた。(森田)

 

NPO法人Dialogue for People

HP:https://d4p.world/ 

YouTube : https://www.youtube.com/channel/UCXUI8IhTnPCJxPup8enSyqQ

Instagram:https://www.instagram.com/d4p.world/

Twitter(X):https://twitter.com/dialogue4ppl

 

9/19 人々の暮らしが豊かになるほど大きくなる環境問題 ゲスト:上岡裕さん

明日のがけっぷちラジオ、ゲストはエコロジーオンラインの上岡裕さんです。上岡さんは、もともと音楽業界にいたのだが、日本のアーティストをアジアへプロモーションしに行った際、途上国の環境が破壊されている様子を見て、環境の世界へ入ったという。

 

昔の公害は加害者が明らかであり、その組織を解散させるなどのことができたが、今の環境問題というのは加害者が明らかではなく、人口が増え暮らしを豊かにしようとした結果、大きい問題になっていったのだという。この問題を解決するにはまず私たちの暮らしから変えていかなければならない。

 

大きくなる環境問題に対して国はどのような対策をとっているのか、また、CO2を出していないにもかかわらず被害を受けるマダガスカルで上岡さんはどのような活動をしているのかを聞いていきたいと思います。

ぜひお聞きください!!

 

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(加藤)

 

 

 

一人では薬物依存は解決しない。「今日一日やめる」を毎日続ける方法 

 6月20日のラジオでは、DARC(ダルク)女性シェルターとちぎのれんちゃんとみやちゃんをゲストに迎えた。DARCとは、薬物依存から解放され社会復帰するためのプログラムを行う施設だ。スタッフも入所者も薬物依存経験者である。全国に拠点があるが、今日は宇都宮市郊外にある女性限定のDARCからお越しいただいた。

 

自分のことを仲間に話して、薬物に頼らない生活を送れるようにする

 事前にラジオの取材とともに〝NAミーティング〟(注釈1)に参加をさせていただいた。ミーティングはダルクのプログラムの一つだ。人数は6、7人くらい。薬物依存と聞いてなんだか怖そうだと思っていたのだが、実際会ってみると普通の人たちだった。笑顔で挨拶してくれたり、わざわざプリントを用意してくれたりと、怖いどころか優しい印象を受けた。

 ミーティングでは入所者の方が「自分のこと」について話す。過去にどんな理由で薬物を使ったのか、今はどう変化しているか、社会復帰ができたら何がしたいか、など。話を聞いていると、みんな過去に辛いことがあり、生きづらさを抱えていた。

 北陸出身のみやさんの場合は、ひとりぼっちの寂しさから逃れるため薬物依存へと陥ったとのこと。薬物を使うと人格が変わる。生きづらいと感じていた苦しさが消えて、解放されたような気分になるそうだ。ダルクで生活をする人々はその恐ろしさも心地よさもどちらも知っている。

 

DARCは「薬物をやめたい」を支える場所

 重視しないといけないことは薬物依存であることではなく、薬物依存になるほど精神的に追い詰められていたことだ。自分のことをミーティングで仲間に話すうちに心の整理ができ、少しずつ薬物に頼らなくてもよくなっていくのだろう。一度依存してしまえば一人で薬物を断つことは難しい。加えて薬物を断つことの出来ない自分に対しても苦しむことになる。そんな人の受け皿となるダルクに薬物依存から抜け出せず苦しむ人が一人でも多くたどり着いてほしいと思った。(森田)

 

注釈1 NAミーティング:NAは無名の薬物依存症者(Narcotics Anonymous)の意味。ミーティングでは実名は名乗らない、聞いたことを他人に言わないなどのルールがある。「言いっぱなし。聞きっぱなし」の対話集会。「NA」とパソコンで検索すると全国各地のミーティングの予定が載っている。一般の参加もできるミーティングもある。

 

 

こども支援で「おなかいっぱい食べられる」ように

 8月8日のみんながけっぷちラジオでは、NPO法人栃木県こども応援なないろ(以下:なないろ)の皆川純子(みなかわ じゅんこ)さんをゲストに迎えた。なないろでは、食の支援・学生服支援・学習支援の3つの事業をメインに幼稚園児から大学院生までのこどもの支援を行なっている。

 

学生服リユースから食の支援・学習支援にも広がる

 なないろは以前は使い終わった制服を収集し、安価で再利用してもらう学生服リユースショップが主な活動だった。それが変化したのはSDGsについて学んでいた際に子どもの貧困があることを知ったから。

 「おなかいっぱいにご飯が食べられない」子どもへの対応として、食の支援がはじまった。フードパントリーやおやつカフェ、学生を対象にした「学校内の朝ごはん」支援が開催されている。食品は、コストコ壬生倉庫店やペニーレインなど栃木県内のフードロスの食品が集められて配布されている。

 次に始まった事業が学習支援だった。きっかけは食の支援を行っている際に、「食の支援は今のこどもは救えるが、こどもの未来までは救えない」とアドバイスをもらったことからだ。こどもたちが未来に希望を持って生きていけるようにと、無料学習塾を週に一度中学生を対象に開催する。

 

ボランティアが始めた「学内フードパントリー」「学生服リユースMAP」

 なないろの活動には、ボランティアの存在も欠かせない。ボランティアによって定着した活動も多くある。大学内フードパントリーもその一つだ。お金がなくて食費を制限し、アルバイトで大学での活動も難しくなった友人を間近で見てきたので「なんとかしたい!」と発案されてできた活動だ。最近では高校生ボランティアがデザインした「宇都宮学生服リユースMAP」が制作されている。これ宇都宮市の制服バンクがある中学校、不要になった学生服を回収している中学校や企業を可視化したものだ。

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000004.000121928.html

 

 なないろは「こんな支援をやりたい」という想いを持つ人を受け止めている場所でもある。ボランティアも随時募集しているので、興味を持った方はぜひ参加してはいかがだろうか。(森田)

 

NPO法人栃木県こども応援なないろH P

https://sites.google.com/view/nanairotochigi/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0?authuser=0

不登校は本人と親と学校で解決できる

7月11日のみんながけっぷちラジオでは、宇都宮クラーク高等学院(以下:クラーク学院)の佐々木さんをゲストに迎えた。クラーク学院は、不登校などの理由から学校に通えなくなった子どもを毎日通えるように支援している通信制高校だ。 

 

「学校に行けない」はみんなで受け止める

佐々木さんは入学を検討する子どもの親に「ここに通えば学校に通えるようになりますか?」とよく聞かれる。それに対して、「お子さんと親御さんと学校のみんなで解決しましょう」と答えると話す。『学校に行けない』という悩みは、家庭内の問題として片付けられてしまう。だからこそ、本人の声をきちんと聞けるように、担任以外の教師も生徒に積極的に関わるようにしている。接する際には「学校に通えなくなった何かが必ずある」を心がけているそうだ。

 

資格の勉強で成績以外でも達成感を感じてもらう

他にも学校の取り組みとして、資格取得の応援も行っている。不登校の原因の一つに学校の勉強での躓きもある。資格を勉強することで生徒は学校の成績以外でも達成感を感じることができる。合格した生徒はさらに上を目指すこともある。試験結果を伝えてきた生徒は試験に合格したのにも関わらず、点が取れなかったところを悔しがっていたとのこと。その様子が生き生きとしていてとても嬉しいと佐々木さんは話していた。

 ラジオ内で最初にクラーク学院のことを聞くと佐々木さんは『あいさつの学校』だと称した。学校側で挨拶をするよう指導しているわけでもないのに、登下校で生徒が大きな声で挨拶をするからだそうだ。元気に登校ができるのはどんな生徒でも受け止め、未来に希望を持てる仕組みがあるからではないかと感じた。(森田)

 

宇都宮クラーク学院HP:https://www.uclark.jp/ 

20年前の「前例のない活動」から生まれた「医療的ケア児の日中預かり」

 今回はNPO法人うりずんの内尾奈々子さんに話を聞いた。うりずんでは、重い障がいを持つ子どもたちとその家族を支える活動をしている。日中預かったり、家に訪問したりと、医療的ケア児と家族のための幅広い在宅福祉サービスを提供している団体である。

「医療的ケア児」と眠れない家族

「医療的ケア児とは、人工呼吸器や胃ろう、経管栄養などの医療的ケアが日常的に必要な子供たちを指します」と内尾さん。そんな子も病院ではなくほとんどは在宅で暮らしている。例えば人工呼吸器をつけていると、1・2時間おきに痰の吸引をしなければならない。怠ると気管に痰が絡まり窒息してしまう。そのような状況で家族はどうなるか想像してほしい。何時間も続けて安心して眠れないだろう。そんな子供と家族を支えているのが、うりずんである。

制度の前に市民活動がある。うりずんが作ってきた福祉制度

うりずんができたのは2006年。当時は重度の障がいをもつ子供を預かる事業はなく、全国で初めての試みであった。

20年前、ひばりクリニックの院長の高橋昭彦さん(現うりずん理事長)は訪問診療を行っていた。ある重度障害の子供のお宅を訪問したとき、普段は母親が出迎えてくれるのに父親が出迎え事情を聴くと、妻が体調を崩したため自分が仕事を休んで子供を見守っているのだという。この状況をどうにかしたいと思った高橋さんは、クリニックに併設して人工呼吸器をつけた子供の日中預かり活動を始めた。これが後のうりずんである。

「医療的ケア児」という言葉もなく国の福祉・医療の制度も支援もなく、まったくの自力・自費での運営だった。共感する人に寄付をもらいながら続けていくうちに、数年後、宇都宮市が着目し、市単独の制度が作られた。その後、厚労省が「医療的ケア児」という視点から調査が行われるとともに、法律が制定されて国の施策が展開していった。いまでは全国に100か所以上の医療的ケア児の日中預かり施設ができている。うりずんの活動が新たな制度を生んだ。

 

「ただの預かり場所」でなく、子どもたちの楽しい居場所

うりずんは「3A」を大切な方針として掲げている。「安全」。医療的に安全であること。「安心」家族が安心して預けられること。そして三つ目のAは「安楽」。利用者本人が楽しいことである。「利用者本人が楽しめる環境でないと、親は施設に預けることに罪悪感を抱いてしまうんです」と内尾さん。

うりずんを見学したとき、医療用の精密機械がたくさん置いてあるにも関わらず、病院とは全く異なる雰囲気を感じた。病院は病気を治療する場所であるため、生活する場としては味気ないものである。白い天井を見つめるばかりの預かりで、体調を崩す子供もいるという。木を用いた開放的な空間には、子供たちが作った制作物があちこちに飾られている。天井には青空が描かれ、屋内にいても空を見られる。子供たちが安らいで楽しく過ごせるように工夫がなされていた。近年重要視されているQOLが意識されている場所だと感じた。最も印象的だったのは、壁に貼ってあった写真である。子供たちはもちろん、スタッフの大人たちも満面の笑みで写っていた。内尾さんも「うりずんでは、スタッフも全力で楽しむんです!」と笑顔で話していた。利用者は重度の知的障害・身体障害であり、意思疎通もあまりできずほぼ寝たきりである。そのような子供たちもサツマイモ堀りやプールなどの活動をできる範囲で楽しんでいるが、子供たちの楽しさの源泉は、周りの大人も一緒になって楽しんでくれることなのかもしれない。子供たちと家族の支えになるだけでなく自分たちも子供たちと一緒になって楽しむ。そんなうりずんの活動をこれからも応援していきたい。

8/15ラジオ「医療的ケア児」って何?ゲスト:内尾奈々子さん

今夜のみんながけっぷちラジオ、ゲストは内尾奈々子さんです。現在、NPO法人うりずんで重い障がいをもつ子どもとその家族をささえるサービスを提供しています。

 

重い障がいを持つ子どもの親は、頻繁に子どもの状態を確認する必要があり、仕事を休む、寝る間も惜しむといった状況も少なくありません。そんな親の負担を減らすとともに子どもたちにも楽しい時間を過ごしてもらうためうりずんが活動しています。

 

うりずんはどんな経緯で生まれたのか、活動するうえでの課題は何なのか、じっくりお聞きします!ぜひお聞きください!

 

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(藤平)

自治会メンバーが集って始めた子ども食堂

 今回のゲストは、宮っこ支援センターSAKURaから高橋清人さん(36)だ。大曽西町自治会のメンバーが集って運営する子ども食堂の広報を担当している。メンバーは地域のシニアの方の人が多く、ネットに詳しい高橋さんに「やってみないか」と誘いが来た。

開始は昨年12月。7年前からおこなってきた地域のシニアへの支援に加え、地域の子どもたちへの支援もしたいと思ったことがきっかけだ。運営メンバーは、「コロナになり子どもの顔がマスクで見られず、どんな子がいるのかわからない」「子ども会の活動が止まってしまった」と地域で子どもをサポートできないことに課題を感じていた。そこで宇都宮市がおこなう子どもの居場所づくりの支援制度を使い、子ども食堂の活動を始めることに決めた。

 

子どもも創る居場所

子ども食堂は予約制で運営している。「去年は月二回だった子ども食堂が、今年は1回になってしまった」と予算やボランティアが足りないことに苦心している。

一方で子ども食堂を訪れる人はだんだんと増えており、活動の必要性を感じている。最近では2030人を超えることもあり、予約を超えた人数を受け入れることも増えてきた。

限られたボランティアの数ではあるが「ここに連れてきたお母さんが少しでも家事や育児から離れ、リラックスしてほしい」と保護者が休息できる場所を目指している。試しにカフェスペースも設けた。保護者同士が話せる空間や、資格勉強の時間になっているという。

また子どもと遊ぶ中では「元気な子どもたちの姿が、いい雰囲気を作ってくれる」と感じることもあるという。ある子は元気に走り回りすぎることもある。しかし「お手伝いが得意だ」といい、食後の片付けや掃除に協力してくれる。また2歳位の小さな子どもたちの面倒をみてくれるお世話上手の小学生の女の子もいる。

「大人が一方的に支援するというわけではなくて、子どもたちも協力してこの居場所の雰囲気を作ってくれている」と、子どもの力で元気をもらえるのだと話す。

 

子どもを中心に「地域がつながっていく実感」

子ども食堂には、保護者がかかえる相談に乗れる専門家(民生児童委員、保護司、福祉協力員、保育士、看護師)が、ボランティアとしてかかわっている。また、高橋さん自身も相談支援を学び、複数の支援ネットワークに加入している。今後も重層的に悩みの解決を図れるようにしていきたいという。

さらに、SNSでも積極的に発信を行ってきた。その甲斐もあって「わざわざ県外からボランティアに来てくれる人もいるんです」という。SNSを通した出会いもあり、地域の企業から子どもの体験キットや食材をもらうことや、市内の支援団体から情報が得られることもある。「団体を応援してくれる中間支援団体(とちぎコミュニティ基金)が地域にあるので頼もしい」とこれからも支援の輪が広がり地域全体の支援につながってほしいと話す。(鈴木花梨)

 

 

●募集●子ども食堂・居場所のボランティア募集!…食品・物品の寄贈、運営資金の寄付をお願いします。一緒に活動するボランティアも募集! まずはご見学からどうぞ。「宮っこ支援センターSAKURa」で検索。

https://sites.google.com/view/kodomoshokudo/

タイトル:「配る」だけじゃない!「寄り添う」フードバンク

●食べ物の「おすそ分け」があたりまえ。フードバンクもすんなりと実施。

 

7月4日のみんながけっぷちラジオ。今回は高根沢町社会福祉協議会・フードバンクたかねざわの福田隆史(ふくだ・たかし)さんと下山貴彦(しもやま・たかひこ)さんにお話を伺った。同じ「フードバンク事業」でもフードバンクうつのみやとは性質が異なっている。取り組みは2017年から始まった。

「以前から年に数回ほど町の農家さんからお米をもらっていて、生活に困った方々に配布していました」と福田さん。県内有数の米どころなので、市場にも出せず自家消費もできずに余ってしまった食べ物はご近所に配る。しかも農家さんどうしがお互いにという例が多い。そんな昔からの「おすそわけ」の習慣が残るのでフードバンクたかねざわの食品寄贈の活動はわりとすんなり受け入れられているとも話す。「個人の方からが約7割、団体3割」とのこと。

 

●町内13か所。「フードポスト」は食品寄贈の必須アイテム!

 

そんな食品寄贈活動に一役買っているのはフードポスト(写真参照)。町内の図書館や町役場、店舗13か所に設置し、そこに食品を入れるだけ。

「持ってきた食品の数が少なかったりすると、対面では気が引けますよね」と下山さん。

なるほど。確かにフードポストなら対面での受け渡しもなく、1点からでも気軽に寄贈できる。

 

●フードバンクは「寄り添い」のきっかけ

そんなフードバンクたかねざわは、ただ食品を配布するだけでなく関係機関との連携が強固な点が大きな強みだ。支援エピソードについては下山さんが紹介。

O.Sさんは、当初「フードバンクの食品を利用したい」と来所したが、精神的に不安定になる時もあったため、職掌を超えて本人が安心して話せる職員が定期的に聞き取りを行い、必要に応じて担当間で情報を共有したという。

「現在も定期的にフードバンクを利用しに来所されますが、話を聞くと家庭内の問題が山積していました。時間がかかっても一緒に問題を解決し、常に寄り添う姿勢を大切にしています」と話す。

 

話を聞いていく中で、組織が大きいところは柔軟な対応は難しくなりがちだが、フードバンクを通して仕事の垣根を越えて利用者を「みんなで支える・みんなで見守る」ことの大切さを実感した番組回であった。

人生に大きな影響を与えるのは「親」と「生活リズム」

613日のみんながけっぷちラジオでは、自立援助ホーム「しもつけ」から、福井福治(ふくい・ふくはる)さんをゲストにお迎えした。児童養護施設は保護者(親)のいない子供や虐待されている子供などが暮らす施設であるが、通常は義務教育を修了するまで(中学校卒業)である。しかし、中卒で自立は難しい。そのような子供を自立援助ホームで預かり、就職・ひとり立ちを支援している。現在は高校一年生から20歳までの6人が暮らしている。また、福井さんは家庭裁判所から補導児童を預かるようにお願いされ、実家でも支援を行っている。今回のラジオにはその一人である伊藤さんも出演してくださった。

 

 

●朝に起きて、夜に寝て、三食食べられるのは当たり前じゃない。

  自立援助ホームではなにか特別なことをするわけではない。朝に起きて、朝ご飯を食べ、学校や仕事へ行き、帰ってきて夜ご飯を食べ、お風呂に入って、寝る。これを毎日行う。私たちの生活と何も変わらないではないか。しかし、「普通の生活」だからこそ難しいのである。朝に起きて夜に寝ることは当たり前じゃない。幼い時に生活リズムの整った生活をしないと、成長してから自立を難しくする要因になってしまう。朝に起きて夜に寝られなければ、学校も行けないし、仕事にも行けない。「普通の生活」をすることは難しいことであり、また自立するための大きな力を持っているともいえる。我々にとって簡単だと思われるこのようなことが彼らにとっては難しいという。

 

 

●自立援助は綺麗事ばかりじゃないけれど、やりがいは多い

  自立援助ホームに入っても、必ず自立できるというわけではない。自立できないまま別の施設に行ってしまったり、犯罪に手を出したりする人もいる。福井さんは「この自立援助はいいことばかりではない。」という。そのような子を何人も見てきたからだ。しかし一方で、自立できた子もたくさん見てきた。「仕事をして、結婚をして、家庭をもって、報告してくれることがある。そんなときが一番うれしい。」と語った。今まで自立を支援してきた子を思い出す福井さんは、父親がわが子を思うような顔であった。自立の最大の支援は「親代わり」になることなのだと気づいた。「普通の生活」を送って、良いことも悪いこともすべて受け止める。それが最大の自立支援なのだ。

 

 

●「福井さんを尊敬しているし、感謝している」

  今回のラジオには福井さんのご自宅で一緒に暮らしている伊藤さんも途中参加してくださった。福井さんと伊藤さんは本当に親子のようで、福井さんは伊藤さんのことを「どこにでもついてくるから本当に金魚のフンだ」と笑っていた。しかし、実際は福井さんの右腕としていつもたくさん働いてくれるという。伊藤さんは、福井さんに伝えたいことについてラジオで感謝の言葉を述べた。オンエア後には、「いつも恥ずかしくて言えないだけで本当に感謝している。福井さんのおかげでここまでこられた。」と言っていた。福井さんは照れながらもどこかうれしそうな顔をしていた。親か、親のような存在がいて、「普通の生活」を送ることがわれわれの人生においてどれだけ大きな力をもつのか肌で感じた。

避難中に死ぬ3736人。うち2335人が福島県!

浪江と宇都宮の2地域居住。「人が戻らない」

530日の「次世代に伝える。原発避難12年目ラジオ」では、福島県浪江町から避難し現在宇都宮市在住の佐々木茂夫さんにお話を聞いた。佐々木さんは原発事故後、横浜の姉のもとへ避難した。その後宇都宮市に避難するも、同時に実家のある浪江町に足を運ぶ、2地域居住をしている。福島では双葉町にある東日本大震災・原子力災害伝承館の「語り部ボランティア」もしている。浪江町藤橋地区は6年前の2017311日に警戒区域解除をうけたが、避難先での生活に慣れた多くの人は地元に戻らず、新天地での安定した生活を求める。だから佐々木さんの知り合いも栃木に多く避難しており、宇都宮に家を建てた。佐々木さんは今回、自身の避難の体験を通して、災害関連死の深刻さと日本の避難場所のあり方について話してくださった。

 

l  浪江だけで、災害関連死442人! 津波死の2.5倍‼

 災害関連死とは、災害による直接的な事故死ではなく、災害による負傷や避難行動、避難生活による疾病悪化が原因で死亡することである。佐々木さんの地元である浪江町は東日本大震災による直接死(津波)が182人であるのに対し、東日本大震災(地震・津波)及び原発事故災害による災害関連死は442人であった。直接死より災害関連死のほうが多い。また、福島県の災害関連死は2335人。同様に津波の被害があった宮城県(931人)や岩手県(470人)よりもはるかに多かった。福島県と宮城県・岩手県の違いは原発事故である。つまり原発事故による災害関連死は深刻なものであるとわかる。

 これが現状なのだが、多くの人は直接死のほうが多いと思っているだろう。なぜならメディアは避難所の実態は報道せず、視覚的に衝撃を与える津波の映像ばかりを取り上げるからである。佐々木さんは自分自身が避難者として避難所生活を強いられ、避難所の現実を見て何とかしなければならないと感じた。

 

TKB48」が避難場所には必須!

 佐々木さんが見た避難所生活は悲惨だった。3月上旬、冷たい床に段ボールや新聞を引き、夜を過ごした。老若男女だけでなく病気の人、慢性疾患、自宅で寝たきりだった人、妊婦、障害者、乳児…もいる。食事はおにぎりやパンなどの簡単なもの、冷たい、出来合いのもの。自分の薬もない。プライベートな空間などは全くなく、体力的にも精神的にもストレスフルな環境であった。

災害関連死は2011年の東日本大震災及び原発事故に限って起こるものではない。避難中の死なので日本全国で起こりえるのである。しかし一方で、日本人は本当に災害に備えられているのだろうか? 指定避難所は本当に避難する場所にふさわしいのだろうか? トイレは整っているのだろうか?更衣室はあるのだろうか?授乳室はあるのだろうか。

 

 佐々木さんは「48時間以内に、清潔で安全なトイレ(T)、温かい食事を提供する台所(K)、雑魚寝を防ぐベッド(B)、つまりTKB48が避難場所には必要である」という。現実にこれを実現できる避難場所が全国にいくつあるのだろうか。災害大国日本に住む私たちにとってこの考え方は重要だと思った。

目に見えない放射線から逃げるやるせなさ 社会問題としてとらえる原発事故

今回は、福島県田村市から栃木県に避難された、内田啓子さんに話を聞いた。田村市は福島県の中央にある郡山市と原発の真ん中ぐらいにあり、避難指示が出された原発30キロ圏内の境目でもある。避難するかどうか、個々の判断にゆだねられた人が多かったことだろう。

  • 待ち望んでいた生活が始まろうとした矢先の原発事故

 内田さんは、子供3人と夫の5人家族で、当時まだ子供も小さく自然豊かな環境でのんびり暮らしたいと田村市に移住してきた。原発事故の5ヶ月前だった。子供は4月から地元の幼稚園に通うことが決まっていた。過疎地域だったので地元の人にとても歓迎されていて、幼稚園に必要な道具を譲り受けることもあった。そんな矢先に起きた原発事故。内田さんは避難指示が出る前の翌日には避難をしていた。しかし、地域の人に恩返しができない苦しさや、たまに田村市に帰って、どこも壊れていない家を見て、「夢をもって移住したのに何でこんなことになってしまったのだ」という悔しさを感じるという。(内田さんの地域は地震による被害がほぼなかった)

  • 「避難は、ただの引っ越しではない」

 「避難というのは『今すぐ逃げなさい』と言われ、そして二度と家に帰れないという状況を強いられること。家の大事なものや友達、人間関係が失われる。仮設住宅ができてよかったねで終わることはない」と語る内田さん。家族で話し合い、栃木で生活することを決めた内田さん。だが、その決断に至るまで3か月悩んだという。「田村市にいた期間が半年という短い期間だったから決断できたものの、ずっと住んでいた人にとっては、とても難しい決断だったのではないか」という。また、「そのような難しい選択を迫られた人に対して、『お金のために避難を続けているのでしょう?』と言うべきではない」と。

 原発避難によるいじめや賠償金をもらった人に対する暴言は大切な故郷や友達、人間関係を失ってしまった人に対する言動ではないと思う。「避難」を軽く捉えすぎているのではないだろうか。実際に体験しないとわからない辛さや過酷さはもちろんあると思うが、「自分の大切なものを失う避難」の辛さは容易に想像できるだろう。また、そのことについて、親が子に伝えることも重要だ。きちんと伝えれば原発避難によるいじめが起こるはずがない。「放射線がうつる」といった根拠のない噂を伝えるのも間違っていると思う。

  • 「普通すぎる栃木」に違和感

 

 大変な思いで避難してきてほっとしたのもつかの間、普通過ぎる栃木にショックを受けた。まるで、パラレルワールドに来たような孤独感を感じたという。また、東京に行けば、普通に電気を使っている様子にとても驚いたという。確かに、計画停電などはあったが、一時的なもので、すぐなくなってしまった。事故後何も変わっていないことに怒りを感じたという。

  • 納得できず学問しだした。「政治と生活は密接している」と分かった

 自分を落ち着かせるため、納得のいく答えを見つけるため本を読みだした。そうしていくうちに、同じような疑問を持つ人に出会い、宇大の先生にまで交流が広がり「社会問題としての原発事故」について知識が付き、その交流が心の支えにもなっているという。「政治と生活はすごい密接していて、身の回りのことは政治的なことが多い。そのためおかしいと思ったことに対して声を上げることが大事」と語った。

(加藤)

6/27原発避難という苦い経験をせめて活かしてほしい、誰かの役に立てたい ゲスト:内田啓子さん

今日は次世代に伝える。原発避難12年目ラジオです。ゲストは内田啓子さんです。内田さんは栃木県出身だが、田舎暮らしをするために、家族で2010年に福島県田村市に引っ越しされ、原発避難に遭遇。震災で栃木に避難してきました。

 

 子供たちに、自然豊かなところで育ってほしい。そんな思いから福島にきて、春から新しい生活が始まるという矢先に起きた、原発事故。移住した当初は、過疎地域であったがために、とても喜んでもらい、地域の人から優しくしてもらえたという。毎日が新しいことだらけで、短期留学のような暮らしだった。その一方で、あんなに地域の人にやさしくしてもらえたのに、自分たちは避難をして、とても罪悪感があったという。地域の人に恩返しができない苦しさもあった。

 

 内田さんが住んでいた田村市というのは、避難指示や屋内退避の指示が出る30キロ圏内のちょうど境目の地域で、そこに住んでいた人たちは難しい判断を強いられたことだろう。判断により、元の土地、暮らしを失った人々はたくさんいる。それを解決してくれるのはお金だけなのだろうか。被害の立証をするためには、つらい過去に向き合わなければならない。このつらい過去、苦い経験を少しでも後世に活かす、誰かの役に立てる。これが、原発事故から12年経った今、やるべきことなのではないだろうか。

 原発事故を通して、社会の何が変わったのか。そして、今やるべきことは何なのかについて話し合います。

 

ぜひお聞きください!!

 

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(加藤)

ラジオで知ってほしい、意外と知らない外来生物のこと

今回は、同じとちぎボランティアネットワークの「しもつけ自然のアルバム」で活動しているラジオ学生菊地真以(きくち・まい)さん、鈴木梨花(すずき・りんか)さん、濵上百々(はまがみ・もも)さんに話を聞いた。

しもつけ自然のアルバムは、栃木の生物多様性・自然保護についての「5分間ラジオ番組」をつくり、月水金の朝7:55から週3回ミヤラジで放送している。番組制作のために取材や外来種駆除のイベントに行ったり、とにかく「足で稼ぐ」アウトドア派のラジオ学生だ。

 

観光も、虫にやられちゃう!

 環境や生物多様性への意識が高まり、外来生物が問題になり始めたのは30年前の1990年代。日本にいる外来生物は、北アメリカやヨーロッパから持ち込まれたものが多く、人の移動と似ているという。今はさらにグローバル化が進展して、アフリカや南アメリカからも外来生物がやって来ている。

 県内の注目すべき外来昆虫には、クビアカツヤカミキリがいる。中国から来たといわれており、幼虫はモモやサクラの木を食べて枯らしてしまう。「サクラの木を枯らしてしまうことで、観光的な被害もあります」と農学部2年の鈴木さん。外来種の影響というのは生態系への影響だと思いがちだが、思わぬ分野への影響も及ぼしていた。

 

「知らせる、参加する」ができること

 外来種に対して私たちが取り組めることは、「知らせる」と「参加する」だ。外来生物を発見したときには、まずは行政機関に「知らせる」ことが大切だという。知らせることで、駆除などの対策を講じることができる。そして「参加する」こと。行政機関でなくても、外来生物の駆除を行っている団体が県内各地にある。駆除のイベントに積極的に参加することが、外来生物の問題の改善、在来生物の保護につながる。

 

手間と愛情のかかった5分間

 しもつけ自然のアルバムの5分間の番組ができるまでには、多くの過程を通っている。まずは企画会議。目的を決めて、それに合った取材先を見つけ、取材をする。大学院修士2年の濵上さんは、「子供たちにもわかりやすいように事前に質問を考えています」という。取材先では、思わぬ貴重な生物に触れる機会もあり、それが楽しみになっているという。取材が終わると、いよいよ番組編集が始まる。同じく大学院2年の菊地さんは「いい話をたくさん聞けると、編集でどこをカットするか迷ってしまうんです」と困りつつも笑顔で語った。

様々なバックグラウンドを持つ三人に話を聞いたが、一人一人から生物に対する敬意や愛情を感じ取ることができた。外来生物に詳しくない人も、ぜひ彼女たちが作った番組を聞いて外来生物について知るきっかけにしてほしい。

5月30日 原発避難12年目ラジオ ゲスト:佐々木茂夫(ささきしげお)さん

 5月30日の次世代に伝える。原発避難12年目ラジオのゲストは佐々木茂夫さんです。

 

 佐々木さんは東日本大震災当時福島県の浪江町にお住まいでした。数々の避難生活を終え、現在は双葉町にある東日本大震災・原子力災害伝承館で語り部をなさっています。

 

今回のラジオでは「震災関連死」について掘り下げていきます。みなさんは震災関連死をご存じでしょうか。震災関連死とは、震災の直接的な被害で亡くなるのではなく、避難先での医療の質の低下、ストレスなどで震災後に間接的に被害を受けて亡くなることです。東日本大震災の被災者は津波や地震だけだと思い込んでいませんか。

 

東日本大震災が発生してから12年がたった今だからこそ言葉にできることがあります。自分が思っているより、あの悲惨な東日本大震災を忘れているし、理解できていません。ラジオを聞いて当時のリアルを届け、我々は何をするべきなのか考えていきましょう。

 

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(吉田)

「街頭募金は、あしながの奨学金を知ってもらうきっかけ」

 今回は、あしなが学生募金事務局の田村由里さん(専門学校2年)に話を聞いた。春と秋の年2回の街頭募金活動を運営するため、ボランティアの募集や団体内募金のお願いを高校や大学、企業にする栃木のまとめ役のボランティアである。

・遺児学生の集いでの先輩との出会い

 田村さん自身も小学校6年生で父を亡くした遺児学生である。あしなが育英会の遺児支援の一つに遺児家庭の子どもたちが集まる「集い」があった。遺児学生や似たような境遇の高校生が3泊4日で合宿をし、過去や将来について語るというものだった。田村さんは高校1年生でそれに参加した。最初はあまり気が向かなかったそうだが、いろいろな境遇を抱えた同年代の高校生と、悩みや心の内を気にせず語り合えて、とても元気をもらったという。それまでは、介護の仕事をしたいという夢を金銭的な理由で諦めていた田村さん。この集いがきっかけで進学という選択肢が増えたという。遺児学生が普段学校では話せない悩みを打ち明けられる場はとても重要で、自分の未来をも変えることができるのだなと感じた。

 そして集いで一緒のグループになった一人の先輩から、局員(あしなが学生募金の事務局)になることを勧められたという。局員になって活動していく中で、先輩たちのあしながで「遺児学生を救いたい」という強い思いや、自分事のように悩んで考えてくれている様子に感動。また、他大学の学生とかかわるきっかけにもなり、あしながでの新しい出会いや考えがあった。そして何よりも活動が楽しいから今まで続けてこられたという。

・奨学金が親の医療費に持っていかれてしまう…

 田村さんのお母さんは持病があり、奨学金と同額が医療費になってしまう。同じように、奨学金を生活費として使っている人もいて、2つの奨学金を借りているうえにバイトをする生活になってしまう人もいるという。暮らすためのお金で精いっぱいで、未来のためのお金を作ることが難しく、進学の夢をあきらめてしまう。母親も子どもを心配させたくなくて仕事をするが、やはり正規雇用は少なく不安定な収入になってしまう。そのため、夜勤の仕事をかけ持ちしたり、土日に残業をしたりという生活になり親子で向き合う時間が少なくなってしまう。遺児家庭と両親のいる家庭の大きな違いは、子と向き合う時間があるかないかではないかと語った。

・奨学金の情報格差。中高生の遺児に伝えてほしい

 遺児学生の問題として情報格差があるという。奨学金について知る機会が少なく、進学の夢をあきらめてしまうのだ。田村さんは中学のころ担任の先生から教えてもらえたから、高校、専門学校で学べたという。でももし、先生自身が知らなかったら、伝えることすらできない。先生が知っているか知らないかで、人生が大きく変わってしまうのではないかと語った。特に民間の奨学金を知らない人はたくさんいるので,街頭募金をきっかけに「奨学金」を知ってもらい、新聞社やテレビ局がとりあげて情報が広がることを願っているという。

(加藤)

自主避難をするもしないも大きな決断。自主避難をして得た新たな価値観

l   l   原発事故後の同調圧力に嫌悪感。空気を読んでいては身を守れない

 425日の「次世代に伝える。原発避難12年目ラジオ」では福島市から宇都宮市へ自主避難した大山香(おおやまかおり)さんをゲストにお迎えした。大山さんは原発事故当時福島市にいた。福島市は強制避難範囲外ではあったものの、放射線量値は高く家のベランダは当時5µSv/(マイクロシーベルト/)※①だったという。しかし、テレビでは避難範囲外であれば避難しなくて大丈夫だ、とまるでなにも危険ではないかのように放送されていた。大山さんは日本人の「空気を読む性格」や「暗黙の了解」、「同調圧力」を強く感じたという。地元である福島にでさえ「嫌悪感」を抱いた。このままでは子供が危険におかされるだけ、将来子供がどのような目に合うかわからない、そんな不安から築7年のマイホームを福島に残して自主避難を決意した。

l   自主避難先の宇都宮、市民権を得られない

 自主避難先の宇都宮では、自分のアイデンティティについて悩んだという。自分は「福島県民なのか」「避難民を名乗ってよいのか」という罪悪感にかられたという。自主避難を決断することは福島県を裏切ることと全く同じではない。しかし当時は「福島県を裏切った感覚」があったという。かといって宇都宮市民でもない。自分の中での市民権が得られなかったという。

 宇都宮では「みなし仮設住宅」に住んだ。これは原発事故で避難をする人々に対し、政府が民間の賃貸住宅を「仮設住宅とみなして」、支援金を給付する仕組みである。しかし借りられる期間は決まっており(通常2年)期間が過ぎた後の不安などは多かった。みなし仮設住宅に過ぎないから、福島のマイホームに比べると小さくて窮屈だった。自主避難の決断は良かったのか、苦悩の日々だったという。

l   人には一人一人「誇り」と「アイデンティティ」がある

 原発事故後、自主避難者にもみなし仮設住宅が認められ、住宅に関しては国からも給付金が出ていた。これだけ耳にすると「国は強制避難者だけでなく、自主避難者にまで給付金を認めていてすばらしい」ように見える。しかし、避難先の宇都宮で平穏に生活できることが、事故前の福島での生活と同じ価値には絶対にならない。我々の「本当に何気ない日常生活」はプライベートな空間であり、一人一人が誇りを持っている。この何気ない日常は理屈さえ通っていればよいわけではなく、お金で解決できるものではない。しかし、「お金で解決する」政府の政策はそのような避難者の一部ともいえるような価値あるものを破壊しているのだ。

 大山さんは自主避難後「人間とはなにか」について何度も考えさせられたという。「人は見た目に振り回されるけれど、見えないものこそが本当に大切」だと語る。我々は「世間体」を気にして社会ではなく世間に合わせて生きている。世間に合わせると「自分」はなくなる。「自主避難」という選択をしたことで、初めて人間として生きた心地がしたという。これからの未来を担う若者たちには「良い意味で空気を読まずにいろいろなことに挑戦してほしい」と語った。

※注①:µSv/h(マイクロ・シーベルト/時)は1時間当たりの放射線量で、5×24時間×365日=43,800µSv43.8mSv/年(43.8ミリシーベルト/年)となる。年間1ミリシーベルト(mSv)が成人の放射線許容量なので、許容量の43倍であった。

十人十色の学びがここに。山のようちえんの自然教育

4月11日のみんながけっぷちラジオ。今回は、鹿沼市中粟野で「山のようちえん」をやっている、代表の山崎恵(やまざき・めぐみ)さんと保護者代表の牛山ミキ(うしやま・みき)さんに話を聞いた。

 

山のようちえんに足を踏み入れてみると、その名の通り360度山に囲まれていた。情趣ある建物の奥ではヤギたちが穏やかな表情で迎えてくれた。この場所はもともと山崎さんの住居だった。「偶然の出会いがいくつも重なって、今の山のようちえんが始まりました」という。

 

「一般の幼稚園で、ウチの子は活かされるのか

きっかけは、友人関係にあった牛山さんの一言だった。

「一般の幼稚園に通わせても、我が子の持っている可能性が100%生かされないのではないか」と不安だった牛山さん。山崎さんに「ここを自然教育の場として使わせてほしい」と提案したという。ちょうど山崎さんも「この場所に人を集めてみたい」と考えていたこともあり、そのまま山のようちえんの開園に至ったという。

「けもの道探検」

山のようちえんの1日は、具材を各自で持ち寄ったお味噌汁作りから始まる。野菜は自分たちで切り、味噌も自分たちが作ったものを使う。山のようちえんのみんなで作ったお味噌汁である。子供たちはおにぎりとお味噌汁を手に山へと向かう。山の中では遊び方は無限大。

「ツルにぶら下がったり、けもの道を見つけて通ってみたり。子供たちと山を歩くのは楽しいですよ」と山崎さん。既存のおもちゃは遊び方が決められているが、山の中では子供たちが自分たちで遊び道具を見つけ、自分たちで遊び方を考えていく。一見危なっかしいと思っても、口を出さずに見守っていると子供たちは自分の力で山を登っていく。山のようちえんでの1日を通して、子供たちは自分で考える力を養っていく。「山のようちえんでは、自然の中で自由に過ごしていくことで、今しかもっていない感性を好きに出して過ごせる。行かせてよかったなと思っています。」と牛山さん。

 

山のようちえんの新たな挑戦 ―引っ越しと小学部誕生―

2017年から5年以上続いてきた山のようちえんだが、今年引っ越しをするという。山崎さんが地道に空き家を探し回り、見つけたのが「糸杉まなびの家」である。少し山から里に出てきた感じだ。

引っ越しの準備中に訪問させてもらった。昔ながらの古民家。蔵の中を覗いてみると、子供たちが塗った壁や秘密基地など、子供たちの姿が今にも浮かんでくるような光景がところどころに見られた。

「ここではみんなでお味噌汁を作って、こっちは音楽スタジオにしようと思ってるんです」。山崎さんは引っ越した後の未来を想像しながら、楽しそうに語ってくれた。

また、引っ越しのタイミングで新しく小学部が開設された。牛山さんの子どもが小学生になって少し経った頃だ。公立の小学校に通い始めて、ある変化に気づいた。「していいかどうか全部聞くようになったんです。それが寂しく感じました」と牛山さんは言う。公立の小学校での生活になじみ、自分で考える力が失われていくことに危機感を覚えた。そこで、子供たちが自分たちで考えてプロジェクトに取り組む、「プロジェクトベース」の小学部が作られた。椅子を作ったり、シロップを作ったり、活動内容は幅広い。

新たな土地で子供たちは何を感じ、何を学ぶのか。これからも山のようちえんから目が離せない。

 

 

5/1 健康で文化的な生活水準を維持するとともに、その自立を助ける難しさ ゲスト:小沢さん

明日のがけっぷちラジオ、ゲストはフードバンクうつのみやでボランティアをしている、小沢さんです。今回はお話を伺うとともに、私自身がフードバンクを半日見学して思ったことについて話をしていこうと思います。

 

 フードバンクを見学させてもらい、「百聞は一見に如かず」という言葉がある通り、生活困窮者支援について頭の中で分かったように感じるのと、困窮者に実際に会って話を聞くのとでは全然違うことを強く感じました。困窮者にも人それぞれいて、精神的な病気で社会復帰ができず、訪れる人もいれば、食品をもらい慣れてしまい、ここに来れば食べ物をもらえるという自立とは程遠い考えを持つ人もいた。

 

 小沢さんがボランティアをしようと思ったきっかけや、食品の提供と自立支援のバランスの難しさについて話し合っていこうと思います。

ぜひお聞きください!!

 

質問してみたい方はどんどんこちらまで!!!

(773@miyaradi.com)

 

リスナーの皆さんのご意見・ご感想をお待ちしております!

 

ミヤラジ(77.3FM)にて毎週火曜19:0020:00オンエア!

 

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(加藤)

4/25 原発避難12年目ラジオ 大山香さん

 本日4月25日は「次世代に伝える。原発避難12年目ラジオ」です。今回のゲストは福島市から自主避難をし、現在宇都宮に在住の大山香さんです。

 今までは原発事故で避難を強制される「強制避難」の方にお話を聞く機会が多かったですが、今回は自身で避難を決意する自主避難について掘り下げていきます。取材前は自主避難だからこその不安や悩みについて知らない人に知ってほしいと考えていましたが、取材をしてみると大山さんがこの12年を通して得た新たな価値観や考え方がみえました。自主避難をすることは良いことなの?どんなふうに大変なの?福島から栃木に避難をしている人はおよそ3000人と言われています。自主避難をした人たちの「地元」ってどこなのでしょうか。今回のラジオは「アイデンティティ」がキーワードです。多くの人に聞いてほしいラジオです。ぜひお聴きください!

 

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(吉田)

 

4/18 募金活動は応援してくれる人へ感謝を伝えられる唯一の機会 ゲスト:田村由里さん

 今日のみんながけっぷちラジオ、ゲストはあしなが学生募金事務局の田村由里さんです。病気や災害、自死により親を亡くした遺児学生や障がいの親をもつ学生を支援しています。経済的理由で進学をあきらめる学生が一人でも減るよう活動をしています。

 

 元々は交通遺児支援のために始まった活動。その歴史は長く、1970年から始まり、約53年間続いている。半世紀で遺児11万人の「進学の夢」を後押ししてきた。今では支援対象が世界にまで広がり、サブサハラ・アフリカという貧困に苦しんでいる国の遺児も支援している。

 

 自らも遺児学生である田村由里さん。そんな田村さんがこの活動に参加しようと思ったきっかけやこれまで続けてこれた理由についてお話してくれます。また、自らの経験をもとに遺児学生が抱える問題について話し合います。

 

ぜひお聞きください!!

 

 そして、今週の土日、422日と23日の12時から18時まで宇都宮駅の東口改札口で募金活動を行います。目標金額は40万円です。コロナで活動ができなかった時期もあり、今かなり苦しい状況です。一人でも多く遺児学生を支援するため、ご協力お願いします!また、ボランティアも募集しているそうなので、気になる方は調べてみてください!

 

質問してみたい方はどんどんこちらまで!!!

(773@miyaradi.com)

 

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(加藤)

4/4 企業人に「明日食べるものがない」を知ってほしい 浅野 光太郎さん

4/4 企業人に「明日食べるものがない」を知ってほしい —— 浅野 光太郎さん

  

 4/4のみんながけっぷちラジオでは、NPO団体フードバンクうつのみやでボランティアをしている浅野 光太郎さん(74)をゲストに迎えた。

  浅野さんは以前勤めていた会社の人脈を使って、フードバンクへの寄付やボランティア募集の声かけを主にしている。

 

 

 定年退職で会社に行かなくなり「生きがい」がなくなった

 

 浅野さんは71歳まで建設会社で営業の仕事にしていた。フードバンクには半年前から来ている。定年退職した浅野さんは、会社で働く代わりにやることはないかと探していた。キャンプやドライブなどの趣味はあった。しかし、働く合間にする息抜きだからこそ楽しめていた。「何かが足りない」と日々感じていた。そして自分にやれることはないかと考えてボランティアを探して、フードバンクのことを知った。

 

 

「3週間を400円で生きなければいけない」生活困窮者との出会い

 

 ボランティアの説明会の前日、浅野さんはフードバンクの事務所へ下見に訪れていた。その日は休みだったが、食べ物を求めに来た人にたまたま出会う。「フードバンクは今日休みなのか」と残念そうにしている人に、なぜ食べ物が必要なのか事情を聞いた。すると生活保護を受けたものの、現金支給が行われるのは三週間後。それまでは現在持っている400円でなんとか生き伸びなくてはいけないという話をされ、浅野さんは衝撃を受けた。今まで生きてきて、食べ物に困っている人に出会ったことがなかったからだ。フードバンクを必要とする人に関わったことから、フードバンクのことを伝えたいと感じ、ボランティアになると決めた。

 

 

ボランティアは「自分のためにやりたい」でできる

 

 「今までボランティアのような、人のためになることをしたことがなかった」と浅野さんは言う。浅野さんのボランティアの動機は「生きがいを探すこと」だった。私(森田)は、ボランティアとは「困っている人のために取り組むこと」かと感じていて、ハードルが高いなと思っていた。しかし、人のためよりも「自分のために」とやっている人が多いことに気づいた。

 そういえば私の周りにも、自分のためにボランティアをしたと話す人は多い。「就活のため」「話のネタ」「友人探し」「暇つぶし」など、多少不純な動機からでも楽しく続けていると聞く。「ボランティアは人のためにと考えて取り組まなければいけない」とは私の思い込みなのかもと思った。

 フードバンクでは毎週土曜日にボランティアの説明会を行なっている。ぜひ不純な動機で事務所に訪れてみてはどうだろうか。(森田)

 

 

見えているようで見えない母子家庭・父子家庭。訪問支援で親子のSOSを見逃さない。

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