2019年10月水害(宇都宮・田川付近)調査報告書ができました。2020年2月に実施したアンケートでは448件・763人の皆さんからご協力いただきました。ありがとうございます。全編170ページなので、概要版(16P)と各章ごとに分けたものも公開します。
・トピック①:時間×地点ごとの浸水状況がわかります。
・トピック②:実際の避難行動はどうしたのか
・トピック③:自家用車の被害地点、家屋修理費用(出費)も
今後水害に備えて、現実的な避難場所の検討も必要だとおもいます。自治会等で検討する参考にしていただければ幸いです。
宇都宮市塙田2-5-1 共生ビル3F
とちぎVネット内 電話080-3505-817(火曜定休10-17時)
●田川の水害で被災した家屋の片付け、生活の復興支援のボランティアをしています。
●DIYセンター(自分で家を補修)したい人)に工具、機材、車をお貸しします。
●毎週金曜は [子ども食堂/地域食堂] 災害後の地域づくりも応援します。
10,000棟の床上浸水。ボランティア10万人を支える募金
地域の復興を支援します。
第1回助成金の公募が開始しました。
6/28半年ぶりに能登災害ボランティアへ参加させていただきました。前日は緊張感からか、あまり眠れない状態でしたが、出発前のミーティングで気さくな皆さまと顔を合わせ、リラックスして出発できました
畑?とは言えない土の塊が広がる
1日目は足湯班のつもりで向かいましたが、朝のミーティングで急きょ男性陣に混ざり大豆のタネまき班へ。普段運動もせず体力不足の自分で不安もありましたが、ここに来たら何にでもチャレンジしようと思っていたので勢いで手をあげました。
大人になって「初めて」のことが減ってきた私には新鮮な作業ばかりでした。溜め池が震災で使えなくなり、水を引けず稲が作れない。棚田を荒らさないために、畑にする作業です。募集している「枝豆畑オーナー制」、あの畑企画ですね。
畑?とは言えない土の塊が広がっていました。でこぼこの土の上を慣れない長靴で歩くだけでも一苦労でした。鳥に食べられないように白い大豆に着色します。鮮やかな赤色に驚きました。青大豆とのコントラストが見事でした。大豆に白、青、黒色があるなんて知らなかった! 悪戦苦闘しながら畝をつくり、種まきのラインを作り、種まき機で種をまき、土を被せ密着させる。言葉にすると簡単ですが、実際はなかなかのしんどい作業でした。暑さもあり、汗だくになりながらの作業でしたが、余計なことを考える余裕はありません。ひたすら体を動かす、深い緑の山々に囲まれ、鳥の声を聞きながら。休憩で飲むお水のおいしいこと。
「古い機械だからね、人も機械もメンテナンスが必要だから」。農業の苦労を想う
午前中より、午後。1日目より翌日、少しはスムーズになってきたかというタイミングで種まき機のベルトが切れるハプニング。落ち込む私に「古い機械だからね、人も機械もメンテンスが必要だから」と優しい声かけに救われました。人手の必要性も痛感しました。農家の方々は延々このような作業を続け、自然に左右され出来高の保証がない大変な仕事だと改めて感じました。消費者の立場では分からなかったことばかりです。
人手が必要。外から行くボランティアが必要
「田んぼに戻せるのに、少なくても7年はかかるな」。「若いつもりでいたのに体がいくこときかなくなってね、7年は長いよね」と軽トラの中で悔しそうに話す横顔が目にやきついています。発災から時間が経過し、住民の方々の体や事情もそれぞれ違いが出てくる時期なのだと思います。だからこそ、外から行くボランティアの力が必要になるのだろうと思います。
ご一緒に活動してくださった皆さん、何も知らない私に優しく教えてくれ声をかけあい最後まで活動できたことに感謝しています。厳しい暑さの中で活動したうえに、運転してくださった方々、本当にお疲れさまでした。ありがとうございました。私は解散時のVネットの「またお会いしましょう」という言葉が大好きです。普段は出会うことのない人々と、一緒に過ごす週末は特別で貴重なご縁だと思います。自分でも少しは役立つことがあるのかも、と思いながらまた機会を作って参加させていただきたいと思っています。ありがとうございました!(マノメ)
5/13-15、能登でのボランティアは今回で二度目の参加でした。初回(4月)の活動は、タオルで「まけないぞう」作成とアスパラガス畑の堆肥まき。はじめてのボランティア活動だったので、作業の流れについてくのがやっとでした。
「溜め込んだらいかん、ここで泣いて吐き出して行き~」
今回の二度目の活動は「足湯」と「草刈」。私は足湯の活動でした。仮設住宅の集会場に来た方々から、この足湯ボランティアのコミュニケーションと居場所づくりの必要性を深く知る事ができました。
そこで聞いた話は、
「仮設住宅に居てもすることがないから、壊れて住めない家でも庭の草むしりに行く。手を休めて海を眺めては、早く自分のこの家で暮らしたいと、想いを募らせている」と。
「もう住めない家だが、庭先に畑を少し作り通っている」と。
初めて足湯に来訪された80歳半ばの女性は「仮設住宅で家族三人暮らし、夫は認知症を患う。一度デイサービスを利用するが、その後は拒否して狭い仮設住宅で一日を過ごす」と言う。
足湯の順番待ちの間、ハンドマッサージだけをし「この手は何をして働いた手かな~」と尋ねると、急に涙を流された。
隣席で待っていた人がすかさず「溜め込んだらいかん、ここでいっぱいじゃべって、泣いて吐き出して行き~」と助け舟をだす。
その人も「ボランティアの歌を聞いたとき、こうして応援に来てくれる人がいると、胸が熱くなり泣いてしもうたわ」と話してくれた。
家族のケアしてきた女性は、自分がされることに慣れていない。
あとで足湯をしながら手のマッサージを続けると、「若いころ、お姑さんに子供を預けて働きに出てたが、長男を5歳で亡くしてしまった。その頃を思い出してねえ。でも、こんな事して貰ったらすまないねぇ~」と遠慮する。
家族のため、誰かのために尽くしてきた女性には“自分がされる”ことに慣れてない。いつも相手を気遣っている。高齢になった今でも家族の世話をしている。
私はこの人に、一時でもやすらぎの時間を過ごして欲しい気持ちでいっぱいになった。
被災から一年以上経って、違った悩みが出てくるのだと思った。だから一人で溜め込まないよう、誰かとおしゃべりする居場所を設ける活動の意義を身をもって体験した。
マレーシア学生3人の献身的な姿に惚れ惚れ
そして今回は、マレーシアからの留学生3人と一緒に活動して、彼らの愛国心からの学ぼうとする姿に、素直さと優しさを感じた。世の中にはボランティアを偽善者だと誹謗中傷する人もいるが、他人のために一生懸命活動する姿を目の当たりにした。一緒に活動してみて「人と人のふれあいの中で、自分が学ぶことの方がいっぱいある」と思った。これは参加しなければ分からないことだった。
一日の活動を終えての夕食は、みんなで食卓を囲み、お皿を回し同じものを食べる。お酒も入りながら会話も弾むと仲間意識も深まっていくようだった。地区の住民からは、自分で獲ったイノシシ肉の味噌漬けと8種類もの野草茶を煎じて差し入れしてくれた。核家族や一人暮らしも多い中、こんな食卓はとても愉しく心癒された。
栃木から8時間遠いけど、行動するボラ仲間になっていきたい
二日目に棚田の草刈りを終えたメンバーは、やり終えた達成感なのか、皆とてもいい顔をしていたのが印象的だった。この金蔵集落は緩やかに棚田が広がり、立派なお寺が5つもあるという。でも人口減少と高齢化には抗えず、この美しい集落を守っていく人がいない。
宇都宮からここまで車移動に8時間以上かかる。それでも、この現状をボランティアで支えていこうとするとちぎボランティアネットワーク。参加してこんな仲間に出会えたことに感謝し、これからも自分にできることは微々たるでも、行動するボランティアの仲間になっていきたいと、心から思える三日だった。(あみ記)