報告③30周年事業・酒場討論会「原発避難・国内避難民問題」

1Fガレージ、おでんと酒で討論。

 

 30周年記念事業の目玉、みんなで語るVネット(未来の部)酒場討論会は2026年1月18日20時からであった。開始20分前に到着した。

 真冬である。風はないが寒い。1Fガレージのドアを開けると、すでに18時から始まっている有機農業のグループ。外は寒かったが中は暑い、アルコールも進んでいる。同行した三浦さんと2F、3Fに顔を覗かせて1Fに戻り、どのグループにも属さない所に居座り、おでんを食べた。

 20:00開始。わがグループの中には東日本大震災、原発避難事故時に福島県郡山市のビッグパレットに出向いた人、そこでラーメン提供した人、そして、能登半島地震のボランティアを継続している人もいた。どの人の話も新鮮で、聞くこと、知ることが初めてのことが多かった。私と三浦さんも自己紹介をし、めでたく乾杯することができた。

 

福島だらけ会、当時小1「長袖、プールなし、暑い夏。雨を恐れた夏」

 

 討論会のテーマは「福島原発避難。国内避難民問題」。担当の吉田美音さん(元ラジオ学生・宇大4年、福島・郡山市出身)と事前に打合せをした。参加者は9人。リアルは6人、吉田さんと私=北村(小山在住、福島・双葉町出身。元双葉町社協職員)の他に、宮坂さん(元Vネット職員、長野県出身)、櫻井さん(元ラジオ学生、宇都宮ケーブルテレビ勤務、福島・三春町出身)、永森さん(那珂川町在住の会員)、三浦さん(結城市在住、福島・南相馬小高出身)。オンラインで佐々木さん(宇都宮在住、福島・浪江町出身。「東日本大震災・原子力災害伝承館」で語り部)、大山さん(宇都宮在住、福島・富岡町出身、栃木県避難者母の会代表)、服部さん(岡山に避難、佐野市出身、避難者支援NPO「ほっとおかやま」代表)。Vネット矢野さんも時々合流した。やはりだが福島出身だらけになった。

 まずは軽く、昨日の1月17日が阪神淡路大震災から31年なので「その時、何してた」を聞いた。

 次に、私たちの15年前の3月11日の〝あの日〟も聞いた。吉田さん:小1、自宅。地震だとは認識した。その後ずっと忘れていたが、ラジオ学生で取材していてだんだん思い出した。外に出られず遊べないで、長袖で外出。プールもなし、暑い夏だったことを思い出した。宮坂さん:小6、地震は感じたが遠い所だと思った。その後の長野の余震(長野北部での震度6地震が連続)の方が印象強い。櫻井さん:小4、放課後、山でかくれんぼの鬼の時、「怖かった」。葛尾村から転校生6人来た。「雨に濡れるな」と言われ、雨を異常に恐れた。振り返ると見えないモノを恐れたのはコロナと同じだった。三浦さん:浪江町の銀行、道路の揺れ電柱の半端ない揺れに驚き、「津波」も恐れた。大山さん:長男(幼稚園年長)、小2の子ども二人と福島市に住んでいて地震に遭った。自主避難すべきか悩んだ。北村:双葉町社協のデイサービスセンターで遭った。その場でお年寄りと一夜を明かし、その後転々とした。服部:東京で原発の被害拡大と避難拡大を恐れた。子どもを守るために家のあらゆるスキマをテープで目張りし、夫に注意された。

 

反省しない国、「歴史にしない」ことで同じ轍を踏む国

 

 皆さんあの日あの時と「その後」のことも語ってくれた。本当は「あまり思い出したくない」と思っても、次々と個々の話が出てきた。終わることはなかった。一人一人の記憶に残るものだった。

 現在の皆さんの立ち位置で何を思っているのかを問う。佐々木さんの語り部で感じていること:原発事故を説明するのは難しい。大山さん:栃木避難者母の会としての活動の課題もあるが、究極的には、私たちにとっての復興とは、原発のない社会なのだと思う。服部さん:「ほっとおかやま」での避難者支援活動の課題がある。声をあげても変わらない現実や国の態度に、避難者が「自身の思いに蓋をしはじめている」。支援の気持ちも届きににくくなってきている。三浦さん:風化していることに危機感を持っている。現在母親と一緒であるが、近い将来福島に戻るつもりでいる。北村:3月12日に、私は二度と双葉町に戻ることはないだろうと思った。永森さん:原発事故の総括がなされていない。「先の大戦」のことも「関東大震災での朝鮮人虐殺」もそう。いつも国は反省をしていない。矢野さん:「個々の記憶を歴史に」しないといけない。反省がないのは国・政府として「その失敗」と向き合わないからだ。新潟県は知事は公約違反してでも、柏崎刈羽を再稼働させた。「自分で使わない電気をつくり、事故のリスクは地元が負う構造」。でも反省がないから同じ轍を踏むと思う…と、とにかく皆さんと話したいことがいっぱいでした。

 

次の(原発)被災地に伝える責任

 

 吉田、宮坂、櫻井など若者の面々はラジオ学生として「次世代に伝える。原発避難ラジオ」に関わり原発避難の問題を強く感じた、身近なことに問題があることを知ったと。

 15年前の教訓は未来に生かされているのか! 神戸では「被災地(者)責任」と言い合い、自分たちの苦労を次の被災地に伝えてきたという。福島原発避難の経験も次に伝えないだろう。「一人ひとりの原発事故、語り継がなければ」と、その思いを感じたのは参加者全員だと思う。そしてこんな場面(討論会)が多く必要だとも感じた。

 皆さんは言いたいことがいっぱい、そして誰かの分まで話をしている。不満をぶつけている。結論を出せるものではない。9人の参加者が語り合えた、共有できたことが答えでした。(北村&矢野)

 

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