6/21南相馬報告:靄にけむる旧警戒区域にて

立ち入りが可能になった南相馬。しかし・・・


福島県南相馬市。県の北東部に位置し、人口およそ65000人(H24.6.1現在)平成18年1月1日に、鹿島町・原町市・小高町が合併して出来た市である。

3月11日の東日本大震災では、沿岸部が甚大な被害を被る一方、東京電力福島第一原発事故により、市域の7割以上が屋内退避・避難指示区域に指定されたため、およそ5万人の市民が避難。一方、残った市民の生活は、物資の流通が途絶したため困難を極め、窮状を訴える桜井勝延市長のyou tube動画は、世界的な反響を呼んだ。

4月22日には、20km圏内にかかる市の南部が「警戒区域」として原則立入り禁止、市の西部が「計画的避難区域」として1ヵ月を目途に避難のため立ち退きを求められる。さらに市の中部にあたる20~30km圏内は「緊急時避難準備区域」に指定され、市内は指定の無い通常の区域を含め四つの区域に分断された。

その後9月30日には、緊急時避難準備区域の指定が解除。さらに12月16日、原発事故収束に向けた工程表「ステップ2」の達成を受けて、警戒区域の見直しが本格化。翌年3月30日、区域見直しが決定する。

こうして今年4月16日、南相馬市の警戒区域および避難指示区域は、新たに「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」に再編される事になり、帰還困難区域を除いて立ち入りが認められるようになった。

震災から約1年と1ヵ月…。他の被災地で復旧・復興が進みつつあり、また震災に関する報道も減って人々の関心も薄くなりつつあるこの間に、南相馬市の旧警戒区域は、立ち入りすら満足に出来なかった事になる。

自然だけが時を刻む街


6月2日、土曜日。鹿島区にあるボランティアセンターには、晴天の下、約80人のボランティアが集まった。受付、オリエンテーションに続いて、この日のニーズとのマッチングを済ませた後、ボランティアが出す車を乗り合わせて、現地へ向う。この日の作業は小高区にある個人のお宅で、屋内の清掃と床下や庭の泥だし。

小高区は南相馬市の南部にあり、震災前の人口は約13000人。区の全域が警戒区域に指定されていた。鹿島区にあるボランティアセンターからは、国道6号を南下することおよそ18km程である。

車窓から見える鹿島・原町市街は普段どおりに見えるが、旧警戒区域である原町区南部から小高区に入ると、様相は一変する。地震や津波の被害を受けた建物はそのまま、津波に押し流された車がそこかしこに放置され、人や車の通りも少ない。区内の道路も沿岸では傷みが激しく、所々に大きな段差や水溜りが出来ている。田畑には雑草が生い茂り、国道の上を通る橋には蔦が絡まって、自然だけは、確かに時を刻んでいるようだった。

今回依頼のあったお宅は、海岸からおよそ1kmほど。家主である壮年のご夫妻に、お子さんである若い姉妹が手伝いに来ていた。宅内の清掃という事で、まずは諦めざるを得ない家具やその他の品々を、壁や柱に傷がつかないよう慎重に外へ運び出す。その後、床や壁、タンスなど使える家具を拭き上げていった。一帯は上水道が復旧していないため、拭き上げに使う水が無く困っていたところ、依頼主の方がポリタンクに詰めた水を持ってきてくださった。話を伺うと、お宅は築5年、まだ支払いも残っているという。

涙の感謝に見合うボランティアとは


午後からは床下の泥出しに回る。床下はベタ基礎(底板一面が鉄筋コンクリートになっている基礎)になっており、泥はすっかり乾いて、厚さ3mm程の板状に固まっていた。スコップやワイパーでかき集めて土嚢袋に詰めていくが、全ての床下を終わらせる事はできず、次回に持ち越し。最後に宅内や玄関などを綺麗に掃き仕上げて、この日の作業は終了となった。

帰り支度を終えボランティア全員が集合したところで、家主のご夫妻がそれぞれ挨拶をしてくださった。今現在置かれている状況や、これから先の事、そして感謝の言葉…時折声をつまらせながら話される、言葉のひとつひとつが胸に響く。泣いていた。姉妹も、そしてボランティアも。

家の修復が済んだとしても、すぐに戻れるという訳ではない。立ち入りが認められるようになったといっても、避難指示自体は継続しており「宿泊」が禁じられているからだ。災害に伴う廃棄物も、国が処理する事とされてはいるが、いまだ仮置き場も決まっておらず、家々の庭や小規模の集積場に置くしかない。上下水道も、市では本格復旧を25年度末と見込んでいる。まだまだ、これからなのだ。

それでも、故郷に、わが家に、帰りたいという思いがある。たとえそれぞれの理由や背景は異なるとしても、同じ思いを抱く、多くの方々がいる。

涙と共に頂いた感謝の言葉に、見合うだけのことが出来たのかどうかは、わからない。いや「出来たのか」というよりむしろ「出来るのか」…それもやはり、これからなのだと思う。

辺りには、津波の被害を受け、基礎しか残っていない家々。所々に花束が供えられていた。以前田畑だった所は、地盤沈下の影響か水が抜けず、生い茂る雑草と共に湿地帯の様だ。帰る頃には、昼間の日差しに温められた水分が、蒸気になってもうもうと立ち上ぼる。

視界も奪われそうなその靄を前に、とある人影が立ち尽くしている。
想像して頂きたい。その人影が、他でもないあなた自身であり、目の前に広がる光景が、その故郷であると…。

6月21日現在、南相馬市の避難者は、市の内外合わせ約30000人にのぼる。うち161名の方が、宇都宮市に避難している。(文・斉藤)

 

写真・原町区南部、国道6号より小高方面
写真・原町区南部、国道6号より小高方面