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南三陸町のあの有名な防災庁舎があったところである。
昨年の3月11日の津波による避難放送が今でも聞こえてくる感じである。(合掌)
被災地から遠く離れた宇都宮市に住んでいる多くの皆さんは、フツーの生活に戻っている。被災者の多くは仮設住宅に住んで後は復興に向かって生活しているだろうと思っているのかもしれない。
しかし、現地を見る限りにおいては瓦礫の最終処分も進まずところどころにまとめて積み上げられているだけで、片づけすら終わっていない印象だ。
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強いて復興というより復旧のきざしを見出すとすれば、仮設店舗を一画に集めた商店街が急ピッチで建設されている。
営業が開始されれば、少しはにぎやかさを取り戻すことができるかもしれない。
ほんとに一握りの人を除けば、復興はまだ始まってすらいない印象を受ける。しかし、やみくもに栃木県からボランティアが大量に被災地に行けば復興が進むほど単純ではない。最低限しなくてはならない事は、被災地や被災者のことを忘れないという事だろうか。