11/6 もうひとつの支援

11月6日(日)雨

雨の降る中、北関東自動車道路から常磐道を飛ばして、いわき市に向かう。

いわき・日立市には、栃木県内で2次避難を過ごしたあと、3次避難で自宅や借り上げ住宅に移り、そちらでも”まけないぞう作り”をしている方が5人いる。


白河・矢吹・山元町などの仮設住宅には頻繁に訪問しているが、いわき・日立方面にはなかなか行くことができなかった。理由は、それぞれの人が離れた所に住んでいるので、いつ・どこで・どのように・どうやって集まるかなど、仮設の集会所に集まるように簡単にはいかず、またこちらが訪問することで被災者さんの生活に立ち入ってしまったり、金銭的な負担が増えることを懸念していたからだ。

しかし訪問計画を立てる段階で、いわきでリーダーになってくれている美佐子さんがみんなの連絡係になり、おいしくて・お得で・長く居られて・お裁縫ができて、というまさにぴったりのお店を見つけて、ランチの予約してくれた。

いわき・日立のみなさんも、「みんなで集まれるのがうれしい。」「顔がうまくできないから、もう一度作り方を教わりたい。」と歓迎してくれているそうだ。


那須に避難していたビーンさんには、白河の仮設にボランティアとして家族で参加してもらった事があるが、他の方とは初対面になる。みんな元気なのかな、どんな生活になっているのかな・・・。そんなことを考えている間に、あっという間に日立中央インターに到着。思ったより近い。

インターのそばに住んでいる英子さんをピックアップして、更に高速を飛ばしていわきに向かう。車中では挨拶もそこそこに、「日立中央インターって、ICを利用するだけで何で100円も取るの~!一度降りて、また乗っただけで200円?」と盛り上がる。おばさん同士はその辺の話題から、すぐに仲良しになれる。

英子さんは元々福島第2原発のある楢葉町出身である。
津波の被害はなかったが、地震で家は半壊状態のまま、何も持たずに着の身.着のまま避難したそうだ。親戚やお嫁さんの実家を転々として、家族に迷惑をかけるからと2次避難では鬼怒川に一人で移ってきた。
8月末に鬼怒川の避難先が閉鎖されることから、日立に単身赴任していた息子さんの元に家族が集まり、ようやくまたひとつの家族になったと喜んだ。
それなのに息子さんの会社から、単身赴任なのに家族で暮らすとは何事だ!と言われ問題になり、英子さんの心が休まる暇はない。

 

先日、初めてマイカーでの一時帰宅を許されて、家族みんなで自宅に戻ったそうだ。幸い家の中は荒らされていなかったが、庭は野良牛のフンが一面に10cmほど積もっていて、家に入る為に全員でフンを片づける作業が必要だったという。また荷物を運ぶにもセダンの車のため、衣類以外に暖房器具はストーブをひとつしか持ち出せず、次に帰るまでは寒くても家族4人が1台のストーブで過ごすしかないそうだ。

それでも英子さんは言う。
「自分はなんて幸せなんだろうと思うの。栃木に移った時に、栃木の人が優しくて、親切で、それまでどうやって生きていこうかと絶望だけだったのに、栃木の人たちに助けてもらったのよ。今ではまけないぞうを作る事で、皆さんに感謝や恩返しできることが嬉しいの。今日は雨だから出かけたくないと思ったけど、同じ思いをしている人と話せる、このチャンスを無駄にしたくないから出てきたの。今日を楽しまなくちゃね。」
素晴らしい女性、英子さん75歳。

待ち合わせ場所に、遅刻して到着。(ごめんなさい・・・)
ビーンさんは免許がないのでお姑さんが送ってくれ、ビーンさんが好きなだけ楽しめるようにとお姑さんは近くで時間をつぶすそうだ。お互いをとても気遣い、実の親子以上に仲が良い。
美佐子さんのお母さんも一緒に参加してくれて、ワイワイとランチの場所『和風れすとらん みなかわ』へ。

写真のお膳をのんびりと堪能、と書きたいところだが、やはり”まけないぞう職人”ともなると、ぞう作りが気になって仕方がない。パクパク完食して早速作業を始める。もちろんお料理には大満足だが、みんなの気持ちはまっすぐ ぞうさんへ!

「こうすると簡単にできますよ」
「私はこうやって工夫しているの」
「どうしてもヒモの付け方が納得いかない!」などなど、
あまりの真剣さに隣の席のお客さんも小声で会話してくれる。

夢中になりすぎて、私も写真を取るのを忘れ、あっという間に引き上げる時間になってしまった。制作中は作り方に関する会話しかせず、皆さんの近況報告などもしていなかった・・・。

そんなわけで、次は2週間後に戸別訪問で材料配布と出来上がった物の納品をして、その2週間後に公民館など無料の場所を予約して、おしゃべり中心の集まりにしようという事になった。
初めての訪問なのに、すっかり定期訪問の計画が出来上がって、リーダーの美佐子さんの迅速な動きであちこちに電話をかけて、場所の確保をしてもらう。私は何もしなくて、みんなやってもらった。

人と人のつながりって、これでいいんじゃないかと思う。
肩肘を張らずに、型にもはめずに、上下関係も、競うこともなく、なんとなく気の合う人たちが支えあう、これが自然の形なのかもしれない。
私自身も支えてもらって、とても楽。 
次の訪問が、また待ち遠しい。 美味しいお茶菓子を持っていこう。

今回のいわき訪問のために、物資隊の田波さんやキャンパチからの協力があり、洗剤や毛布などを持参した。
君嶋パパから『自宅避難の人は情報が入りにくいので、行政からの支援が行きわたらない』という話は聞いていたが、いわき・日立の方々はその通りの状況だった。
「物資配布があることを知らなかった…。」
「物資配布があるというので行ったら、おしくらまんじゅうみたいに人だかりで、何があるのか物が見えなかった」
「誰かが手に取って持っているものさえ、他の人が取っていくのを見たけど、怖かった。」
「結局サランラップしかもらえなかった・・・。」

自分で使うものなら買えばいい、という人もいるが、家を失い帰る所がなく、知らない土地でいつまで暮らせばいいのか分からず、避難先での仕事も見つからない状態になったら、そう簡単に何でも買えるとは思えない。ぞう作りの時の、私なら捨ててしまうような短い糸も、持って帰って繋いで使うと言う。そうやって物を大切に節約している人たちに、自分が贅沢している部分を少し削って、何かできないだろうか・・・。

またこれからも、いわき・日立の訪問を続けたい。
私達が行くことで、ほんのひと時だけでも笑って過ごせる時間や、楽しい思い出ができれば嬉しい。そして、避難している人の生の声や生活の様子を、もっともっと皆さんに伝えていきたい。

(記:鈴木奈津子)

〜ブログを読んで下さっている方へ〜

自分たちにできることは何だろう、被災された人に自分は何ができるかわからないというみなさん、いつか使うだろうと思っているタオルや、安売りでたくさん買った日用品・食品などがあるならば、ぜひ被災された方へ分けていただけないでしょうか?押し入れで眠っている物が、今困っている被災者さんの役に立ちます。
※希望があった物:お米、調味料、食品、洗剤・ティッシュなどの消耗品

(申し訳ありませんが、倉庫の都合により現在衣類は集めていません。)