「引きこもる」は、自身の考え方を見直すために必要な時間だった。

 今回のゲストさんはNPO法人ウエーブの吉成勇一さん。訪問介護や障害福祉サービスをやる福祉事業所の理事長さんだ。今は助けっとさんである吉成さんだが、過去には「引きこもり」のがけっぷちに立っていた経験がある。そこからどのようにして今の活動に至ったのか、吉成さんのライフストーリーを追いながらお話を伺った。

  

◇真面目、優秀。だが「評価、失敗への恐怖」

 吉成さんが引きこもり状態になったのは高校2年生のときだった。当時の吉成さんは真面目で優秀な生徒である一方で、「他人の評価が気になる」「失敗を極端に恐れる」といった考え方も持っており、精神的な複雑さがあった。

 優等生である吉成さんは、努力しながら順調な人生を歩み栃木県で1番の宇都宮高校に進学した。しかしそこで「目的を達成してしまった」と燃え尽きたような気持ちになってしまい、勉強や部活のスタートが遅れてしまった。一段と難易度が上がる高校ではなかなか遅れを取り戻すことができなかった。全国から優秀な生徒が集まるような高校。劣等感や「自分の居場所がない」という気持ちを抱えながら高校1年を過ごした。

 その後何とか2年生に進級はできたものの、高校1年をギリギリで過ごしてきた上、勉強の難易度もさらに高くなった環境で周りに追いつくのはかなり困難だった。気持ちも好転しないまま、高校2年生の夏休みあたりから不登校になる。

 

◇引きこもり状態を脱するために必要な「周囲の正しい対応」

 親は焦り、何とか学校に行かせようとしていたが、吉成さんはそんな「親との関わり」を避けるために自然と昼夜逆転の生活になった。

吉成さん自身は退学の判断を決められなかったが、最終的には親が退学を決めた。それをきっかけに「引きこもり」の状態が本格的に始まった。当時の吉成さんは「一度決めた道から外れたらおしまい」という考え方を持っていた。

 

親は「引きこもりの家族会」に参加し引きこもりの人への対応を学び、「なんとか外に出そう」という対応から「家にいることを認める」という対応へと変化した。

吉成さん自身も最初は親の対応の変化に警戒していたが、考え方を理解した後は、将来のことを考える余裕が出てきた。

 

◇「物欲」が外に出るきっかけ

 こもって●年目。家の手伝いをして小遣いをもらう生活をしていた吉成さん。インターネットが普及してから通販をするようになり、だんだんと「他の物も欲しい」という気持ちが芽生える。より多くのものを買うためにはお金が必要になる。吉成さんは、水道メーター検診のお手伝いをするという形で、外で仕事をするきっかけを得た。「周りの目をずっと気にしていたが、実際に外に出てみるとそこまで気にする必要はないと気づいた」と吉成さんは当時を振り返る。

 外に出て活動をするようになってからは、様々な支援団体と関わりを持っていくことになる。その中の1つが「NPO法人ウエーブ」であったことから、今の吉成さんの活動につながる。

 

◇「視野が狭かった。自分で決めた道しか見えていなかった」

 「当時は視野が狭かった。自分で決めた道しか見えていなかった。」と語る吉成さん。最初から自分で道筋を示すのではなく、目の前にある関われるものと関わり、新たな出会いとつながりを持ち、そこから自分の道を選択することの大切さを教えてくれた。

 

吉成さんは7年間引きこもりを経験していたが、全て必要な時間であったと考えている。一度引きこもっているからこそ、大きな挫折に対する抵抗力のようなものを身に着けられたと言う。また、引きこもる人の気持ちを前向きに戻すには家族の理解も必要であり、そのためには引きこもりに対する対応を学ぶなど、第三者の協力も必要不可欠、とのことだった。

 

(たなか)