福島・原発避難10年目ラジオ


2021年6月から、新たにはじまった『福島・原発避難10年目ラジオ』。

 

毎月第2日曜、11~12時にミヤラジで放送中です。

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6/13、AM11-12時「次世代に伝える。原発避難10年目ラジオ」 毎月第2日曜に実施!

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明日3/7 13-16時「福島・原発避難10年目ラジオ」。3人の避難者と3人のラジオ学生が、次世代に伝えます!

東日本大震災から10年、原発避難から10年です。今栃木には2700人の原発避難者がいます。人災である原発事故。避難者3人のラジオをやります。テーマは「次世代につたえる福島・原発避難の10年」

●3/7日曜13-16時

・13時台:小暮さん+ラジオ社会人・伊東、・14時台:佐々木さん+ラジオ学生・田中、・15時台:北村さん+ラジオ学生・佐藤の6人とコメントおじさん矢野&宮ラジ小林あやかさんです。

 

PC・スマホでも聞けます⇒ https://fmplapla.com/miyaradi/

 

次世代に伝える教訓:①原発は人災、②きずなを大切に

 今回のゲストは福島県からの原発避難者である中山千代吉さん。東日本大震災当時の福島の様子と避難生活についての話を聞きました。

 

♦車が止められない!水も足りない!生活が変わる瞬間

 中山さんは福島県富岡町、原発から10km圏内の町に住んでいた。3/11の地震発生当時は自宅隣の下宿(工事業者用の宿泊施設を自営)で、家具が倒れないように抑えながら窓の外を見ていた。車が地震で激しく揺れる様子が見えた。翌朝見ると庭の土がこんもりと盛り上がり車が駐車できないほどで、地震の強烈さを感じた。12日、役場には水を求め多くの人が集まっていた。中山さんも2ℓのペットボトルを5本持って行ったが、もらえたのは3本。役場から帰宅しペットボトルを家に入れようとしていたころ、防災無線で「直ちに避難を」と指示を聞いた。

 

♦混乱する情報・避難指示。避難所を転々とする日々
 中山さんは「近くの温泉施設に避難用のバスが来る」というのでそこへ行ったが、いつになってもバスが来ない。夕方になるので車で避難しようと奥さんと息子さんの3人で川内村の避難場所に出発。普段なら30分だが渋滞で1時間半もかかった。やっと着いた先で言われた言葉は「車がいっぱいでここへは入れない」だった。しかしこちらも役場からの指示で来たと説明し、何とか混乱する避難所に入り、大人数で雑魚寝した。

 翌13日、福島の娘さんと連絡がとれ3人で向かう。道中のコンビニには食料品は一切なかった。棚に残っていた缶ビールを買い、1本飲んだところで「原発が爆発した」という情報を知った。娘と合流した後、新潟に逃げる途中、ガソリンの切れた車が何台も、そこら中に止まっていた。幸い中山さんの車はガソリンがたくさん入っていたため、新潟市までたどり着けきた。

 原発避難で福島市・新潟市、さらに東京にまで移動して避難生活を送ってきた中山さん。3年前に小山に来た。各地での避難設備の違いと、これからの災害に対する向き合い方について話を伺った。

  

♦「冷たい床」の避難所と「マット一枚敷いてある」避難所

 様々な避難場所を経験してきた中山さん。冷たく固い床で寝なければならない過酷な環境の福島県内の避難所。一方で温かい食べ物や毛布もあった新潟。避難所の対応の違いは、たぶん過去の被災経験の違だろうという。新潟は過去「中越地震」「中越沖地震」、毎年の水害と被災者受け入れ、避難所運営の経験があって準備がしっかりしていたとのこと。寝るときにも冷たい床ではなく、柔道用の畳が一枚あるだけでもありがたいものだと中山さんは言う。

 災害が多い日本では避難場所を確保しないといけない。そして場所があるだけではなく、中身(運用)を充実させることが必要で、それがこれからの災害に対する向き合い方の1つであるのだなと、私=田中は思いました。

 

2つの教訓「原発被害は人災である」「人との絆を大切に」

 中山さんが自身の経験を通して若者に伝えたかったことは2つ。

 1つ目は「原発の被害は人災である」ということ。避難場所の設備だけではなく、原発避難・補償に対しての対応も各町で違っている。前々から地震が来るとわかっているのであれば、原発に対してきちんと対策を練らなければならない。「地震は来ないから原発は安全」という安全神話の宣伝ではなく、避難者への具体的な制度・支援策、避難生活の苦痛・苦労を抑えるための努力が必要だ。

 2つ目は、人との絆を大切にしてほしいということ。コロナ禍で友人との交流が減り、横のつながりの大切さを痛感した中山さん。若者にありがちなSNSだけでのつながりではなく、お互いの顔を知り助け合える仲間の存在は必要である。

◆ ◆ ◆

 私は今回の話を聞き、これからの日本の在り方について考えをめぐらすことができました。未来を作っていく若者に対して、避難施設がどのようにあるべきかを伝えていきます。よい未来は「知る」ことで作られるということを強く感じました。(たなか)

同じ被災者。でも抱えている痛みや思い、経験すべてがまったく違っていた。

 2021/3/2のゲストさんは福島県双葉町から避難されてきた北村雅さんです。 当時、社協職員だった北村さんはデイサービスセンター利用者と一緒に避難し、5年以上も被災した人たちの在宅福祉を支える仕事をしていました。そんな北村さんの避難生活と、原子力発電所の事故が起こったことで生じた問題をお話しました。

 

被災した人を助ける被災者

 

 2011年3月11日東日本大震災の地震発生当時、社協職員だった北村雅さんは地震発生時デイサービスセンターの利用者さんと一緒だった。津波がセンターの200ⅿ先まで迫り、その次の日のお昼には原子力発電所が事故を起こした。県からの強制命令により利用者さん二人を連れて川俣町へ行き、川俣高校の合宿所で他の避難者の介護をしながら生活を送った。

 その後、北村さんは郡山に利用者と避難。会話ができず「寒い」と言えない子供たちと温もりを共有し、眠れない人のそばで「大丈夫だよ」と一晩中声をかけ続けた。さらに郡山から埼玉に移動。双葉町からの避難者1400人と埼玉スーパーアリーナの狭い通路で過ごすこともあれば、埼玉の騎西高校の教室で過ごすこともあった。

 3月末にデイサービスセンターの利用者さん全員をご家族のもとへお返しできたが、翌日の4月1日から入浴サービスの事業に尽力した。それから北村さんは2012年1月まで「避難してきた方には泣くより笑ってほしい。現場で高齢の避難者に元気にしたい!」という思いで、埼玉県で被災した方々を元気づけ続けた。そしていわき市の仮設住宅に移ってからも、仮設住宅を見守る事務所を立ち上げ、身寄りのない被災者が集まってお話しできる場を作り上げた。

 そうして5年以上、被災した方々を元気にする被災者であり続けた北村さんは「こんなこと言うとあれですがね…」と苦笑しながら言った。「私は幸せでしたよ。地震が発生したときも利用者さんたちがそばにいてくれましたし、現場で今までの経験を生かして人を元気にする仕事を続けられたんですから」。被災し故郷に帰れずとも自分よりつらいことを経験している人がいるからと近くの人々を元気にしようと尽力なされた姿を思うと、なんて素晴らしい人なんだと、私は頭が下がる思いでいっぱいだ。

 

「あの日以前の生活が戻ってくるなら喜んで帰還しましょう」

 

 私も過去、宮城県の七ヶ浜町にいて、あの地震と津波を経験した被災者だ。だからこそ深く共感できる一方でどうしても違いがあることを知った。

 普通なら1時間半で着くような場所にも7、8時間かかること、別々に避難した家族と連絡する手段がないと避難所をはしごして人づてに足跡を辿るしかないこと、避難生活にプライバシーなどないこと。当時の大変さを痛いほど理解できた。

 でも私は原子力発電所の事故の直接的な被害にあっているわけでない。農産物や海産物が出荷できなったこと、被爆した苦しさ、風評被害。なにより北村さんは双葉町という故郷へ帰れず、もう住めないという事実にやり場のない思いを抱えていた。何枚もの写真を見せていただいたが、北村さんのお家から道路1本挟んだ向こうに黒いフレコンバックがたくさん積みあがっている様子が見え絶句した。放射線で汚染された土や草木などの廃棄物が投棄された土地やその近くに住めるはずがない。

「どうして自分の家に帰るのに政府の許可が必要なんだろうね…」と北村さんはつぶやいた。同じ被災者でも私は当たり前に帰れる家も故郷もある。新しい防波堤が建設され道路が開通し、津波が押し寄せた砂浜は冬になると青くライトアップされた美術品が並ぶ。北村さんとお話していくうちに大きな壁がそびえたっていることを知った。

 

 今、政府は懸命に除染活動を行いかつて双葉町に住んでいた方々を帰還させようと動いているという。しかし北村さんは私の目を見て「10年前の、あの3/11以前の町になるのであれば、喜んで両手を上げて帰還しましょう。それ以外はいらないんです。」と、きっぱりと言い切った。

 同じ被災者。でも抱えている痛みや思い、経験すべてがまったく違っていた。

 もっと話して、知らないといけない。真の理解には至らないが寄り添うことはできると北村さんから教えていただいた。東日本大震災のことを風化させないためには、まずはそこからだ。 (佐藤)

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3/2 ラジオ 東日本大震災被災者 北村雅さん

/2の放送は学生パーソナリティ佐藤、ゲストには東日本大震災の被災者の北村雅さんをお迎えしてお送りいたします。

北村さんは福島県双葉町のご出身で原発事故の被害に合われた方ですが、何年間も被災された方々を元気づけようとご尽力された方です。当時の避難生活の様子や原子力発電所の事故によって故郷を失われたことなどについてお話を伺っていきます。

放送は2日の19:00からミヤラジにて。パソコン・専用アプリからもご視聴いただけます!ぜひお楽しみに!

 

 

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