教えたい×学びたい=ボランティアで運営する学校・自主夜間中学

222日ラジオでは「とちぎ自主夜間中学 宇都宮校」から副校長の大橋衛さんをゲストに迎え、話を聞いた。

 

●卒業名簿6年で破棄。不登校など「中学の形式卒業者」を把握できない

 昨年8月に開校された「とちぎ自主夜間中学」。来る人は主に①中学の形式卒業者(例:不登校でも3年間で卒業とされてしまう人)、②外国ルーツの人、③生活困窮や家庭の事情で学べなかった高齢者などである。それぞれ3:5:2の割合で、外国ルーツの人が一番多い。ここは「学びの機会を失った人」に学びを提供する場であり、民間人がボランティアで運営する学校である。

実際は、「学ぶ機会を失った生徒をどのように把握していくかが非常に難しい」と大橋さんはいう。「中学の形式卒業者」のデータは学校で6年間は保管されるが、6年を過ぎるとデータは処分されてしまう。本人が声を上げないとわからないのだ。「今更学び直しなんて」と学び直しに消極的な人がいるのも事実。「外部から働きかけて、学び直しのできる場所を多く作ることが重要」と大橋さん。

最近ではその数字を把握していこうとする動きが強まり、データ保管期間の延長や国勢調査で「不登校・形式卒業者がいるか」の項目追加など把握システムが徐々に改善されつつあるという。大橋さんは「把握のしかたはこれからも問題であり、みんなで少しずつでも把握していこうとする努力が大切」と語った。

 

●一緒に学び、成長する。“学習者とパートナー”の対等な関係。

 自主夜間中学では、教わる側を“学習者”、教える側を“パートナー”と呼ぶ。生徒と先生ではなく、なぜ“学習者とパートナー”と呼ぶのかを聞いてみた。

 自主夜間中学立ち上げの会議では、呼び方の案として他にもいろいろな名前が出たという。その中で自主夜間中学は、公立夜間中学とは違う、「個別マンツーマンで、1人1人が自由に学び方をカスタマイズできる自由度が高い学校」という特徴から「先生」という上の立場のような呼び方はどうなのか?との意見が上がった。そこから、教える・教えられるの上下関係ではなく、お互いが学んで成長していける対等な関係を大切にしたいとの思いから、パートナーという呼び方になったという。

 そんなパートナーは全てボランティア。教員資格を持つ人だけでなく、資格を持たない人も一定数いる。教えたい気持ちさえあれば、誰でもパートナーになれるのだ。教えることに興味がある人は、是非パートナーとして参加して欲しい。

 ここは、学びたい人は「自ら学びたい」、教える側も「自ら教えたい」との思いが交差する学校である。だから学習者で授業中に寝る人はひとりも見られず、休み時間にも各自英単語や漢字など少しでも学ぼうという思いで勉強している人が多い。

私はどこか「学ぶ」ことが当たり前と思っていたかもしれない。「学ぶ」ことは当たり前ではないからこそ学びを求めている人が多くいる。今は当たり前でなくとも、「学ぶことが当たり前になる社会」にしていくために少しずつでもできることがあるのではないか。

 

●在日外国人の未来を拓く「生きるための学び」

大橋さんが自主夜間中学を作ろうと思ったのは、進学問題であった。在日の外国人が日本で進学したいと考えた場合、各国・大使館によって申請書類や卒業証明、履修証明、滞在資格などが異なり、申請が煩わしい。そのような問題を抱える人たちをどのように進学、そして日本社会にまで結びつけていくか大橋さんは考えるようになったという。

学びの機会を失った人の多くが「漢字の読み書きやで計算ができないこと」が原因で免許証を取得できなかったり、自分の子どもに勉強を教えられなかったりなど生活に不便を感じている。そして、特に在日の外国人は日本語の読み書きができなければ仕事を得ることが難しく、日本社会で生きていくことは非常に困難である。このハンデは、「学ぶ機会を失ってしまったからしょうがない」で済まされてはいけない問題ではないか。仕事を得られなかったり、社会になじめなかったりすることで、確実にその人の人生の選択肢の幅は狭まり、最悪の場合生死に関わってくる問題となる。

大橋さんは、「がけっぷちの最後のネットになってでも、学びのセーフティーネットになりたい」という。大橋さんの「学ぶことができなかった人を取り残したくない」という強い思いを感じた。

生きるための学びは、その人の希望の火を灯し、自分で未来を切り拓いていく道標となるものである。学びのセーフティーネットである自主夜間中学は、ただ学びを提供する場ではなく、“生きるための学び”によってその先の未来への橋渡しも担う存在なのである。

 

●老若男女、国籍問わず、いつでも学べるやさしい場所

 「自主夜間中学は、誰も怒らない、怒られない本当にやさしい場所」であると大橋さんはいう。夜間中学は老若男女、国籍を問わずに「学びたい気持ち」さえあれば、誰でも利用できる。そして、その「学びたい気持ち」を通じてお互いを受け入れ、思いやるからこそ誰にとってもやさしい場所になるのだ。

あなたの周りにも、気づかないだけで生きるために学びを必要としている人がいるはずである。そんな人にこの夜間中学の存在を伝えることが、“学びを求める人に学びを届ける”ために私たちができるアクション。私たちの「伝える」アクションが積み重なって、学びを求める人の全てに学びが届けることができる社会へとつながっていくことが理想である。少しずつ、まずは伝えることから。

 

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●取材後記●

 

今回のラジオを通して、学びの機会を失った人の苦悩を初めて知った。「学びたくても学べなかった」というだけで日本社会から外れてしまうことは、本人にとっては苦しみもがくような思いである。完全に理解することは難しいが、その苦悩に向き合い手を差し伸べることでその人の苦しみを少しでも解放してあげられるのではないかと考える。また、取材で「こんばんはⅡ」という夜間中学を描いたDVDを見た。そこで印象的であったのは、夜間中学で学んでいる人が生き生きとした笑顔で「学ぶ」ことの楽しさを語っていた場面である。心からの笑顔を見て私は強く心を動かされ、このような人がもっと増えて欲しいと心から思った。誰もが学びを我慢することなく、学びを自らの意志で受けられる環境である自主夜間中学が全国に多く設立されることを、夜間中学の存在を知った1人として強く願う。(やじま)